『真実は 闇の中』






第六話 『古びた洋館』



 男に急かされるまま、アルルは街外れの丘に連れていかれた。

 話せばわかってくれる可能性のある自警団員達ならともかく、 シェゾのことを『仇』と信じ込んでいるこの男を、彼と鉢合わせさせるわけにもいかないため、 早々にその場を離れるという選択自体はアルルとしても都合の良いことではあったのだが・・・

(ど、どうしよう・・・)

 丘の中腹には、小さな洋館。
 以前は金持ちの別宅としてでも使われていたものなのだろうか。
 街道からそれ程離れていないため、生活の便はそれ程悪くなかったのかもしれないが、美しい景色が見通せるわけでもない こんな丘の中腹に住もうと思う者の気が知れない。
 以前の主がここに屋敷を構えた理由はもちろん、それを手放した理由自体は判りかねたが、この際それはどうだっていい。
 それなりに豪華に見えなくもない3階建ての屋敷は、決して極端に古い物ではなかったが、 使われなくなってからそれなりの年月は経過しているように思われた。

(ここなら、もしも闘いになっても誰かに迷惑がかかることはなさそうだけど・・・)

 男が言うには、昼間偶然『仇である魔物』を見かけ、街からこの丘まで後を付けてきた・・・とのことであった。
 しばらく木々の間から洋館の様子を窺い、間違いなく中に『仇が存在する』ことを確認し、その『仇』が 一旦外出した折に屋敷の内部を確認してから、アルルを探しに街に戻ったのだということだった。
 ある意味、命知らずの行動ではあるが・・・それだけ思い詰めていると言い換えることもできるだろう。

 家族を失った哀れな男を騙し続けることに心が痛む。

(あれ・・・でも、それって・・・)

 この洋館で魔物が暮らしている・・・というのが真実であるならば、それがシェゾであるはずはない。
 彼は、アルルと同じ安宿に逗留しているのだ。
 当然時折外出はしているようだったが、それでもここでの二重生活が可能だとは思えない。

(もし、今までのことが、全部ボクの思い込みだったとしたら、それに越したことはないんだけど・・・)

 その場合、当然、ここに魔物 ――――― 本物のスノウ・ヴァンパイアが潜伏していることになる。
 だが、そうでない可能性も皆無ではない。

(どうしよう、どうしよう・・・どうしよう ――――― )

 つい先刻、皆に全てを正直に話し、誠心誠意謝罪しようと決意したばかりだというのに、 心の中や思考そのものを無理矢理掻き回されているかのような感覚に囚われる。

「中に明かりは灯っていないみたいなので、まだ戻ってはいないと思うのですが・・・」
「うーん・・・そうだね。多分・・・」

 必ずしも明かりを付けた状態で生活しているとは限らないし、この場で身を隠しているのであればその可能性は更に低いだろう。
 地形的に、街の中から直接この丘を見ることはできないだろうが、 不用意に明かりを灯せば、屋敷の中に何者かが潜伏していることくらいすぐに知れ渡ってしまうはず。
 だが、内部に人の・・・生き物の気配が感じられないことも事実。
 いや・・・あくまでも、気配が感じられないような気がするだけであり、その感覚に根拠などは全くない。
 意図的に気配を消しているのであれば、アルル程度の実力で、それを見抜けるはずもない。

「一度、ボク一人で・・・こっそり中を確認してくるよ」
「だ、大丈夫ですか? もしかしたら、私が街にアルルさんを呼びに行った間に魔物が戻ってきているかも・・・」

 先刻の言葉とは矛盾した台詞ではあるが、ある意味当然の心配であろう。

「うん・・・でも、このまま外で待っていても、朝まで・・・ううん、 そのまま魔物がここに戻ってこないかもしれないよ。ボク達がここに来た事に気が付いてどこかに逃げちゃうかもしれないし。 だから、やっぱり一度様子を見てこなきゃ」
「でも、危険なのでは・・・?」
「だから余計にボク一人の方がいいと思う。何かあった時、他の人を守りながら闘う方が大変だし」
「確かに・・・その通りかもしれませんね」

 咄嗟に思いついた言い訳ではあるが、充分理にかなっていたせいか、男はあっさりと納得したようだった。

「で、でしょ? ・・・だから、お屋敷の中の調査はボクに任せて、その間に自警団の皆を呼びに行って欲しいんだ」
「本当に・・・一人で大丈夫なのですか?」
「・・・うん。魔物がいるとわかっているのに油断なんかしないから、ボクの心配は要らないよ。それよりも万一魔物に逃げられ たりしないように、できるだけ沢山の自警団の人達を集めてきて欲しいんだ」

 ここから街まで往復するのに小一時間程かかるだろうか。
 急げば時間はもっと短縮されるであろうが、街で自警団員を探し、話を通してから人を集めることを考えると、 恐らくその辺は相殺されるに違いない。

(だから・・・その1時間の間に、確かめればいいんだ・・・)

 確かめる ―――――

 『魔物』の正体を。
 全ての事の真相を。
 そして ――――― 自分が、どうすれば良いのかを。

「・・・お願いだよ。もしも魔物と闘いになって、手負いの魔物を外に逃がしたりしたら・・・ 街の人に被害が出るかもしれない」

 これは言い訳。

「そんなヘマはしないと思うけど、もしもの時、街の人を危険に晒すわけにはいかない」

 これも・・・言い訳、そして出任せ。

(本当は、街の人の心配なんか全然していないくせに・・・)

 自ら毒づいて、そして胸が痛くなる。

(どうしてだろう・・・さっきは、全てを街の人に話すって決めたばかりなのに・・・)

「わかりました。すぐに応援を連れてきますので安心してください」

 男は、昼間に見てきたという屋敷の造りを簡単に説明する。

「では・・・くれぐれも気を付けて」

 深々と一礼し、男は街へ戻る道へと駆け出した。
 暫くその姿を見送ってから、アルルは深く息をつく。

「ごめんなさい・・・騙すつもりはなかったんだけど・・・」

 自らにすら聞こえないくらいの消え入りそうな声でそう呟く。

「ごめんなさい」

 何も知らずに街へ応援を呼びに行った男に。
 巻き込んでしまった自警団や役所の職員、街の人々に。
 そして ―――――― 自らの決意を覆した自分自身に・・・

「でも・・・ここから先は、ボクが何とかしなきゃ!」

 裏口・・・所謂、勝手口からアルルは内部に侵入した。
 窓からの月明かりが僅かに入る廊下を選び、そのまま奥へと進む。
 2階への階段は、当然玄関ホール正面に存在しているらしいが、わざわざ目立つルートを通ることもないだろう。
 扉が半開きになったままの部屋については一応中を覗いては見たものの、それ以上の探索はせずに先を急ぐ。
 全ての部屋を丹念に見て廻りたいところではあるが、古い屋敷なだけに扉の開閉時に響くであろう音が気にかかった。
 第一、小さな洋館とはいえ、それだけの時間的余裕はないだろう。
 幸いにして長い廊下には毛足の短い絨毯が敷かれており、よほどのことがない限り足音が響く心配だけはない。
 先に内部を確認してきた男が言うには、1階にはホールと食堂、そして応接室の他には、調理場等の水周りの作業部屋や、 使用人が使っていたであろう質素な私室が幾つかあるだけとのこと。
 それなら、そのまま通り過ぎても問題はないはずだ。

「・・・・・・」

 屋敷の奥の階段を登り、2階の廊下へと出る。
 ここにも絨毯が敷かれていたため、1階同様足音の心配はない。
 屋敷の造りから考えて、廊下に面する部屋の多くはゲストルームであろうから、屋敷に侵入した何者かが身を潜め、 体を休めることは充分可能・・・
 本来なら、各部屋を順に確認していくべきなのだろうが ―――――

(3階建てのお屋敷・・・ってことは、きっと一番上の階には、ここの持ち主だった人の部屋があるはず)

 僅かにその場に立ち止まり、考えを巡らせる。
 根拠はないが、男から聞いた屋敷の造りから考えるに、それは間違いないだろう。

(最上階にはラスボスが待ってる・・・ってお約束じゃないけれど、お部屋だって広いだろうし、 ベッドだって古くてもフカフカだろうし、窓からの見晴らしも少しは良いだろうし・・・ 普通なら絶対その部屋を使うハズ!)

 選択肢が失われたせいか、覚悟を決めたせいなのか・・・それとも、先送りにしてきた問題を全て終わらせたいためなのか。
 アルルは、全てを吹っ切るように、通路沿いの部屋には目もくれず先を急ぐ。

 3階へ通じる階段は1箇所のみ。
 廊下突き当りの部屋というよりは、ホールを思わせるかのような空間の奥にあった。
 極力音が出ないよう扉を開き、同じく音が出ないよう僅かな隙間を残して閉める。
 廊下の窓から差し込んでいた月明かりが途絶え、反対側の壁に幾つかの窓が存在することが辛うじてわかる程度の 暗闇に包まれる。

「・・・・・・」

 完全な暗闇ではないため、もう少し目が慣れさえすれば普通に歩くことくらいは可能だろうが、今はその時間も惜しい。

(大丈夫。何も障害物なんてなかったから)

 廊下からの扉を閉じる寸前に見えただけではあるが、それは間違いない。
 このまま真っ直ぐに部屋を横切れば、階段へと辿り着くはずだ。

「・・・・・・」

 アルルは、慎重に足を前へと踏み出した。

 一歩。
 また一歩 ―――――

 凡そ、部屋の中央付近まで足を運んだであろうと思い、一瞬立ち止まった時、不意に ――――― 部屋に明かりが灯る。

「・・・・・・!!」

 それ程強い光でもなかったのだが、闇に目が慣れつつあった彼女は思わず咄嗟に目を伏せた。
 長い瞬き程度の間を置いて、ゆっくりと瞼を上げる。

「・・・・・・?」

 部屋の壁側に据え付けられた幾つかのランプ状の管に小さな炎が揺れていた。
 恐らくは、何らかの仕掛けで作動するのであろう。
 炎そのものはもちろん、それを灯すランプの方にも特に魔力は感じられない。

「 ――――― 折角見つけた絶好の隠れ家だったんだがな・・・」

 ホールの奥から響く声。

 聞きなれた声。
 この場では、聞きたくなかった声。

「・・・・・・」

 息を呑むアルルの目前に、現れたのは ―――――

「とりあえず、ようこそ・・・とでも言っておこうか」

 銀色の髪、冷たく青い瞳、闇に溶け込むかのような黒衣 ―――――

(シェゾ・・・!!)

 奥の階段へと続く通路から現れた彼の姿を認めるなりそう叫ぶ。

 いや ――――― 叫んだつもりだった。

(え、何・・・? どういうこと・・・?)

 間違いなく発したはずの自らの言葉が声とならない。
 いや、声だけではない。
 差し伸べようとした手も、走り寄ろうとした足も、体全体がまるで金縛りにあったかのように動かないのだ。

「・・・意外だな。てっきり腕に自身のある冒険者が乗り込んできたとばかり思っていたが、まさか小娘一人とは」

 やや間を置いてそう続けると、彼はまるで獲物を値踏みするかのような視線を向ける。

(え、え・・・? シェゾってば、何言ってるの・・・?)

 彼の意外な言動に、更に思考が混乱する。

「街の娘ではなさそうだな・・・旅人か。こんなところに迷い込んだ自分の不運を呪うことだな」

 まるで初対面の他人かと思わせるような言葉と共に投げかけられた射抜くかのような彼の視線の先が、 ほんの一瞬だけ彼女の足元に落ちた。

「――――― !」

 それに釣られて視界に入った自らの足元の敷物には、僅かに黒ずむ染みのような紋様。
 壁際の揺らめく炎に照らされたせいで辛うじて見える状態であったが・・・

(これって・・・もしかして・・・)

 足元に注意を逸らした僅かな間にも、彼はゆっくりと近付いてくる。

「恐怖のあまり動けないか・・・こちらにとっては好都合なことだ」

 口元に笑みを浮かべ、更に歩を進める。

(・・・何で? どうしてそんな事言うの・・・? もしかして『これ』に気が付いていないの?)

 全景が見えたわけではない。
 自分の足で隠している部分はもちろん、背後がどうなっているのかを確認することはできない。

(でも、この紋様って・・・)

 それは、最も初歩的で基本形でもある『拘束』の罠を発動させる魔法陣。

(これを見たのなら、気が付かないハズないじゃないか・・・!! )

 魔導に興味がある者であれば、一般人でも知っているような魔法陣。
 魔導力を持たぬ者でも、街の普通の道具屋で手に入るような安物の魔導具を使えば簡単に描けるような魔法陣。

 だが、それなら逆に ―――――

(どうして、『ボクが』動けないわけ?)

 この程度の基本形の魔法陣では、せいぜい足止めや行動の抑制程度が限度で、 対象者の動き全てを封じることまではできない。
 術者の力量に応じた効果が発せられるタイプのものではないため、仮に彼自身が描いたものであったとしても、それは同様。
 第一、魔導に抵抗力があるはずの自分が、油断していたとはいえ陥る罠であるはずもない。

 ――――― 驚きと狼狽。そして混乱。

 様々な感情と感覚が入り乱れ、思考自体が麻痺し出す。

 彼の視線にはとうに慣れたつもりだはあったが、強がる余裕もなければ、そんな状況下でもない。

(・・・どうして? 何が一体どうなっているの・・・?)

 体の動きが封じられているせいでもあるのだろう。
 自身を取り巻く違和感が、まるで時間の流れから自分だけが取り残されているかのような奇妙な錯覚を感じさせた。
 まるで、夢の中に取り残されてしまったかのような感覚にも似ている。

 ――――― いっそ、本当にそうであったのなら、どんなに良かっただろう・・・

 唯一規則正しく刻み続ける自らの心音と、背を伝い落ちる冷や汗の感触が、一瞬にしてアルルを現実へと引き戻した。

(・・・ホントに、シェゾなの・・・?)

 そのまま彼は表情一つ変えずに、ゆっくりと歩み寄る。

 ――――― その瞳には一体何が映っているのだろうか・・・

 やがて、手を伸ばせば触れることができる程度までの距離となり、それでも彼は更に距離を詰める。

(・・・シェゾっ)

 何度も何度もそう呼びかけ続けた。
 彼の姿が目前へと迫り、それに比例するかのように心音が更に高鳴る。

 恐怖や不安がそうさせるのか、それとも ―――――

「・・・・・・」

 何か ――――― 呟いた気がした。

(え・・・何? 何て言ったの? 聞こえないよ!)

 ほんの僅かに彼の唇が動いたような気がしたが、気のせいだったのだろうか。
 いや、高鳴る自らの心音が全ての音を掻き消してしまう ――――― そんな気がした。

 相変わらず、体は動かぬまま。
 近付き過ぎた彼の表情を目で追う事は既にできない。

「・・・・・・」

 そして、もう一度。

 今度は ――――― 耳元で。

(・・・・・・!)

 間を置かず、彼はアルルの襟足にかかる亜麻色の髪に手を伸ばす。
 軽く毛先を弄び、その指に絡ませたかと思うと、文字通り『獲物』を追い詰めた獣の如く、 部屋の中央に為す統べなく立ち尽くす少女の体に覆い被さるかようにその身を捕らえた。

 そして、彼は ――――― その白い首筋に冷笑を浮かべたままの唇を寄せた ―――――






『真実は 闇の中』 第七話に続く・・・

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あとがき・・・


 全くの余談。
 今回のサブタイトル、『古びた洋館』を漢字変換したら『古びた羊羹』になった・・・
 い、いやだ・・・(笑)

 さて。
 元々このシーンが書きたかったために、始めた小説でもあったのですが、なかなか上手くいかないものですね(滝汗)
 最初の方の余計なシーンは全部奔っちゃおうかな・・・とも思ったのですが、6話のラストをここで切りたかったので、 あえてダラダラと。
 逆に、後ろの方をもっと丁寧に書いた方が良かったのかもしれませんが、これ以上丁寧に書いたら、 シェゾが更にえっちくなってしまいそうな気がしたので、この辺で勘弁しておくことに(爆)
 一応・・・ウチ、シェアル(風味の)サイトではありますが、健全サイトなもので〜(汗)

 ちなみにあじ・・・ストーリー重視の小説を書く場合、無関係なシーンで『無駄にシェゾの言動に色気を加味』する 悪癖があります・・・  





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