『真実は 闇の中』






第五話 『主なき部屋』



 外は、すっかりと暗くなっていた。
 正確な時刻までは判りかねたが、少し前までは時計塔の音が時折聞こえていたことを考えると、 それ程遅い時間というわけでもないのだろう。
 大通りには、さほど昼間と変わらぬ程度の人通りがあったように思われる。

「・・・・・あっ!」

 まるで人の目を避けるかのように裏通りをすり抜けていたため、暗がりから現れた通行人に全く気付かなかった。
 相手の男が体を引いたことで衝突は免れたが、周囲を見ないで細い路地を走っていたアルルの方に非があるのは当然のこと。
 恐らくは近くの酒場から歩いてきたと思われる通行人は、酔った勢いもあってか大声で怒鳴り散らそうと腕を振り上げる。

「・・・・・・」

 口を閉ざしたのは、その時のアルルの驚きの表情が尋常なものではなかったためだろう。
 顔面蒼白で髪を振り乱した・・・ まるで何か恐ろしい存在から逃げ出してきたかのようなその表情は、彼の怒りの矛を収めるのに充分なものだったと思われる。
 いや、単に面倒事に関わりあいたくないだけだったのかもしれないが、そのままアルルから目を逸らし、 何事もなかったかのように男は立ち去っていった。


 実際、アルルは確かに『逃げて』いた。

 勤務時間を終えた役所の職員や、持ち場の交代を済ませた自警団員、そして双方のお偉方までも更に会議室内に集まってくる。
 自ら巻き起こすこととなってしまったこの騒動を収めることは既にできなくなってしまっていた。

 文献から得た情報と、宿に置いてある魔導書とを照らし合わせて対策を考慮したい ――――― そう言って、辛うじて その場から逃れることができたものの、根本的な解決には全くなっていない。

 自分が宿から魔導書を持ってこようと申し出た職員もいたのだが、『魔力で保護した特別な魔導書だから』・・・と、 何とか取り繕った。
 当然、そんな物は持ち合わせているはずもない。
 宿まで護衛しようと申し出た自警団員もいたのだが、『深夜でもない限り、これだけ大きな街の中で魔物が動き回るとは 思えない』・・・と、それも断ることができた。
 根拠はないが、事実幾つかの文献からは『スノウ・ヴァンパイアの戦闘力自体はそれ程高くはない』ことを示す情報を 読み取ることができた。
 人間を襲う危険な魔物ではあるものの、腕力・脚力等の基礎能力は人間とほぼ同等だと判断して差し支えはなさそうだ。
 だから被害者は、一人歩きをしている者だったり、寝入っている者だったりするのだろう。
 人間を襲うという行為自体が、ある意味彼らにとって無防備な状態であるのかもしれない。
 そう考えると例の村での話とも辻褄が合う。

 その情報が、彼女を重苦しい会議室から開放してくれたわけではあるが、それは同時に『自分達の力でも何とかなる』と 自警団員達の士気を高める結果ともなってしまった。
 恐らくは今頃、彼らは複数人のチームを組んで街中をパトロールしていることだろう。
 アルルが路地で通行人と出会った時、思わず彼らパトロール中の自警団員と遭遇したのではないか・・・いや、 彼らが追ってきたのではないかと必要以上に驚いたのであった。


 走った距離はさほどのものではないにも関わらず、彼女が宿の近くまで戻ってきた時には、息はあがり、 至る所から噴き出したその汗で、衣服が体中に貼り付くかのように纏わり付いていた。
 夜風が火照った体を適度に冷やしてくれたせいか、呼吸はすぐに落ちついた。

 外から見る限り、彼の部屋には明かりが灯っていない。
 昨夜のことがあるとはいえ、この時間で既に寝入っていることはさすがに考え難い。
 食事にでも出かけているのだろうか ―――――

「どうしよう・・・」

 部屋を見上げたまま、アルルは呟いた。

 彼が在室していたとして、『どうする』つもりだったのかは自分でもわかっていなかった。
 ただ、漠然と ――――― この場、この街・・・いや、この事態から、逃げ出すつもりだったのだと思う。
 説明など抜きで、強引に彼をこの街から引きずり出す・・・ことは流石に無理だろうが、決して得手ではない嘘や芝居を 駆使してでも、なんとか街から出さえすればそれで良い。

 後のことは ――――― その時考えるしかないだろう。

 だが、肝心の彼自身がいないのでは話にならない。

「どこに行ったんだろ・・・」

 この街で彼が外出することはほとんどなかったと思われたが、その際は全て別行動だったため、行き先への心当たりは全くない。
 だが、この場で迷っている場合でもないことくらい判ってはいた。

 見知った宿の人間に怪しまれてはいけないと、服の袖で顔の汗を拭い、乱れた髪を手で簡単に整える。
 身なりに気を使う程の余裕はなかったが、それでも自分の姿が異様な状態であることくらいの分別は付いていた。
 そして、まずは自分の部屋に向かい、大急ぎで荷物をまとめる。
 彼を見つけ次第すぐに街を出るのであれば、ここには戻って来ない可能性が高い。
 宿代は日毎に払うシステムだったので、勝手に宿を引き払っても咎められることはないだろうが、それでも一応礼儀として、 明日の二人分に当たる宿代に若干上乗せした金額を目立つところに置いて部屋を出る。
 他の客達も外出している者が多いのか、幸いにも誰とも出くわすことはなく、そのまま彼の部屋の前まで来ることができた。

「・・・・・・」

 念のためノックをしてみるが返答はない。

「・・・シェゾ?」

 小声で呼びかけながら、静かに扉に手をかけ静かに押し開ける。

「いない・・・の?」

 もしかすると戻っているかもしれない・・・との期待がなかったわけではない。

「・・・・・・」

 月明かりや町の灯火はほとんど差さぬ部屋ではあったが、一見して主がその場にいないことくらいはすぐわかる。
 閑散とした部屋の隅、白い寝台の上には昼間彼が読んでいたと思われる古びた本がそのまま置き去られていた。

「どうしよう・・・」

 扉の隙間から中を覗きこんだまま、アルルはもう一度そう呟いた。

 もしも食事に出ただけであれば、すぐに戻ってくるとは思うが・・・それを待つ時間がもどかしい。
 勝手に部屋に入って荷物をまとめさせてもらおうかとも思ったが、 それこそ『特殊な魔力のこもった魔導具』等の扱いを誤る可能性がある以上、下手な手出しはできない。
 いや・・・見たところ、ほとんど部屋には荷物らしい荷物は置いていないようではあったのだが ―――――

「 ――――― !」

 不意に、誰かに見られているような気がして、思わず周囲を見回してしまう。

「・・・・・・」

 当然、誰もいない。
 この部屋が廊下の突き当たりである以上、手前の部屋の主や訪問者以外は通りすがることはないはずであるのだが・・・

「別に・・・誰かに見られたからって困るわけじゃないんだけどさ」

 『逃げ出す』という行為への罪悪感なのだろうか。
 必要以上に怯えている自分自身に焦りすら感じてしまうのを、自ら毒付くことで必死で押し込めてみる。

「そういえば・・・」

 視線が半開きになったままの手前の部屋の扉へと移る。

「昼間から、ずっとこのままだったよね・・・」

 無意識に部屋の前まで歩を進め、今しがたシェゾの部屋へしたように隙間から中を覗いてみた。

「・・・・・・」

 当然、この部屋にも誰もいない。
 部屋の主が不在であることは、宿の外から見た時に灯りが付いていなかったことからも判っていたことではある。

「夜になっても戻らないなんて・・・珍しいな」

 隣室の剣士を雇っている主人が夜の護衛を必要としないためなのか、 用心棒であるその剣士は日が落ちる前には必ず宿に戻ってきていたと記憶している。
 夜の静けさとは無縁な時間帯、ほろ酔い気分で宿内を歩き回る他の逗留客との揉め事も決して珍しくはなかったので、 その印象も当然強い。
 このような安宿に泊まるのには、つくづく向いていない人種だとアルル自身感じていたし、宿の主人も他の逗留客も 同じような感覚を抱いていたことだろう。
 当然、不運にもそんな神経質な男と隣室になってしまった彼も、同様に考えていたはずだ。

 一度 ――――― 宿の主人に対して、逗留客の靴音が五月蝿いと言い掛かりをつけていた男に対して、 刺すような視線で睨みつけている彼を見かけたことがある。
 その時は、アルル自身も男の無茶な言い掛かりにかなり辟易していた口なので特に意識はしていなかったが、その時の彼の表情は、 他人が客観的に見た場合、純粋に『殺気』を感じられる種のものだっただろう。
 万一、その翌日に男が宿の部屋で殺害されるような事件が起きようものなら、真っ先に彼が疑われるのではないか・・・と、 自分の中でくだらない笑い話を作ってみたりもしたものだが ―――――

「 ――――― って、やだ・・・」

 思わずそう声を漏らす。

「ボク・・・今、何考えたんだろ・・・」

 単に、隣室の剣士が珍しく部屋を空けているだけのこと。

 事実は・・・ただ、それだけのことなのに ―――――

「・・・・・・」

 自ら頭に浮かべてしまった恐ろしい想像を掻き消すかのように強く頭を左右に振り、文字通り『逃げ出す』かのように その場から駆け出した。

 彼が、他人に対して見せる表情も態度も、程度の差こそあれ普段からそんなものであったはず。
 別に珍しいことでもなんでもない。

 だが ―――――

 外に出る際に、宿の主人に声をかけられた時にどう答えるべきか・・・何の用意もしていなかったが、 ちょうど新しく到着したばかりの客の相手をしているようで、アルルの存在には気付いていたのかもしれないが、 特別視線を向けられることもなく通り過ぎることができた。

 課題のために大量の本を部屋に持ち込んだり、その本を返却するために持ち出したり・・・を繰り返していたため、 アルルが荷物持参で出入りする姿は見慣れていたのだろう。
 元々旅の荷物はそれ程多くはない。
 第一、こういう類の安宿は冒険者が利用することも多いため、取った部屋を拠点に近隣を動き回ることも珍しくないはずだ。
 宿代が日払いなのもそういう理由からなのだろう。
 それでも、普通は『ちょっと近くの遺跡を探索してくる』とか声をかけてから出かけるものなのだろうが、 今更戻って言い訳するのも不自然だ。

「・・・ふぅっ」

 無事に宿の外に出ることができ、大きく息をつく。

 決して安堵からのものではない。
 問題は何一つとして解決していないのだ。

 彼を見つけ出さなきゃならない。
 その彼をなんとか説得して、街から連れ出さなければならない。

 だが、それ以前に・・・

 『逃げる』ことは何の解決にもならない ―――――

 判っていた。
 そんなこと判りきっていた。

 家族の仇をとってほしいと依頼してきた男からも。
 アルルが街に潜む魔物の脅威に立ち向かおうとしていることを知り、協力を申し出た自警団員や役所の職員達からも。
 全ての約束や信頼という関係からも ―――――

 『逃げる』ことしかできないのだ。

 いや、それでも・・・『逃げる』ことで何かが解決するのなら、それも一つの『手段』なのかもしれない。

 強い敵や、困難な課題に立ち向かう時、一旦退くことで体勢を立て直したり、相応の準備を整えて再度それに挑む行為は 否定されるべきことではないだろう。
 無駄な争いを回避することで様々な意味での損失を防ぐという行為も、日常生活の中であっても 至極普通に見ることができるはずだ。

 だが ――――― 今、ここで『逃げる』ことは、何の解決にもつながらない。


 ただ・・・その場から、全てを放棄して消え失せてしまうだけ ―――――


「 ――――― ごめんなさい」

 誰に告げるでもなく、そう呟いた。

「ボクは・・・ボクには、もう何もすることができない・・・」

 声にすらならない呟き。

 安請け合いして、舞い上がって、そして大勢を巻き込んで・・・その結果、自分だけが逃げ出してしまう。
 それは、裏切りに等しい行為 ―――――

「・・・ごめん、なさい ――――― 」

 未だ主の戻らぬ部屋の窓をもう一度見上げ、もう一度そう告げる。

「でも・・・でも、ボクは・・・シェゾを裏切ることなんてできない」

 例え、他の大勢の人々を裏切ることになったとしても。

 いや ――――― その選択は、果たして正しいものなのか。

 彼をこの街から脱出させることに成功したとして、その後のことは何も考えていない。

 自警団員や役所の職員達が、アルルのことを魔導学校からの特使と思い込んでいる以上、ここで姿を消したとしても、 学校側に何らかの連絡はされることだろう。
 『魔物に攫われた』とか『行方不明になった』とか・・・場合によっては『咬まれて魔物化した』等と 伝わってしまうかもしれない。
 自分一人なら後で上手く取り繕うことができるかもしれないが、その場合シェゾはどうなってしまうだろうか。
 彼の場合・・・元々陽の当たる所での生活をしていたわけではないのだから、追っ手がかかろうが、命を狙われ続けようが、 今までのそれと大差ないのかもしれないし、恐らく降りかかる火の粉は自分自身で払い除けるに決まっているだろう。
 だが、それでは彼を『救う』ことにはならない。

 それならば・・・思い切って、シェゾを連れて学校に戻る・・・という方法はどうだろう。
 全ての事情を説明して、学校に助けを求めれば何とかしてもらえるかもしれない。
 優秀な魔導師や魔導具、研究文献が揃う魔導界の最高峰ともいえる機関であれば、シェゾを救うことができる可能性は高い。
 だが・・・もしもそれに失敗した場合、またはそれ自体が不可能だと判明した場合・・・逆に彼の立場は 絶体絶命的なものへと変わる。
 良くて調査対象。最悪の場合は魔導師総動員による『魔物』討伐・・・
 第一、闇の魔導師である彼を、学校が快く救ってくれる可能性の方が著しく低いだろう。

 もう一人 ――――― 彼を救えるであろう実力を持ち合わせた者に心当たりはあるにはあるが・・・


 ――――― 全てが人任せ。
 自分の無力さが、痛いほど身に滲みる。

 最初は・・・全てを、自分一人で解決するつもりだったのに ―――――

 もう ――――― 自分にできることは何もないのだろうか・・・

 この街で、今の自分にできること ―――――

 そう・・・『逃げる』ことなく、全てを明らかにした上で街の人々に理解を求めることはできないのだろうか。

 最初から、隠すことなくそうすれば良かったのかもしれない。

 今更遅いかもしれないけれど、いっぱいいっぱい謝って、『彼を助けたかっただけなのだ』と説明して・・・ それでも理解してもらえなければ、その時は『逃げる』ことになっても仕方がない。
 何もしないで『逃げる』よりは、恐らく ――――― ずっとマシだ!


 どうしてそんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。

 闇の中の迷路で、同じところを何度も行き来していたような気分だった。

 何が切欠となったわけでもない。
 単に、入り込んでしまった間違った道から、正しい道に戻るための小さな脇道が見えただけ。

 あとは ―――――


「アルルさんっ!!」

 不意の声だった。

「・・・え?」

 てっきりパトロール中の自警団員達かと思ったのだが、その声は最初にアルルに魔物退治を依頼してきた男のものだった。

「・・・・・・」

 彼に逗留先は伝えていないはずだったが、話の折に口走ってしまっていたのだろうか。

 たった今、『真実を話す』という決意をしたばかりだというのに、思わずシェゾが戻ってきたりはしないかと 視線を泳がせてしまう。
 さすがにこの場で彼とシェゾとを鉢合わせるのだけはマズイ。

「ど、どうしたの? ボク・・・今から自警団の人達と合流するところなんだけど・・・」

 決して嘘ではないのだから、至極自然にそう答えることができた。
 宿からの灯りに照らされているとはいえ、この程度の明るさでは先刻の不自然な視線の動きを気付かれることはないだろう。

「それどころじゃないんです!」

 大袈裟なくらいに手足を振り回しながら男はアルルの元へと駆け寄ってくる。

「見つかりました・・・魔物の隠れ家を、見つけたんです!!」

 その瞬間・・・夜風では冷ましきることができなかった 体中の生暖かい汗が・・・一瞬にして、凍りついたような気がした ―――――






『真実は 闇の中』 第六話に続く・・・

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あとがき・・・


 シェゾが出ない、シェゾが出ない、シェアル小説のつもりだったのにシェゾが出ない・・・

 あー、これはちょっと失敗だったかも・・・と思いつつ、次回はシェゾ、必ず出ます!!  





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