『SAGA』 第一章






第六話 『嵐の夜』



「アイオロス・・・アイオロスっ!」

 風雨の音に混じるように、戸口でそう声が聞こえた。

「・・・サガ? 一体こんな夜中にどうしたっていうんだ」
「良かった・・・まだ起きていたか」

 転がり込むかのように中に入ると、サガは雨に濡れた自らの髪をかき あげながら息をついた。

「悪いが、宮に戻ってくれないか。緊急事態だ」
「緊急・・・って、一体何が・・・」
「この嵐のせいで、聖域の南側の岩壁が崩れ落ちそうになっている。このまま だと、外敵から聖域が無防備な状態になるばかりか、麓の村も危ない」

 聖域を守るのは、聖闘士ばかりではない。
 常人を寄せ付けない地形もその一つであり、その地形そのものには女神に 守護され続けている結界のようなものが存在する。
 その結界の維持に努めているのは、歴史上に埋もれていった幾人もの聖闘士達 の小宇宙であったが、地形の変動が結界に及ぼす影響は計りしれない。

「俺が行こう。十二宮の方はレイファが守っているんだ。問題ない」

 言いながら、アイオロスは雨具を用意しようとする。

「待て。アイオロス・・・君は、こんな嵐の晩に、かわいい弟君をこの部屋に たった一人で置き去りにしていくつもりなのか?」

 小さな部屋の片隅には、本来ならアイオロスが横たわるはずの寝台が用意 されており、その上には、ようやく寝入ったばかりの男の子・・・
 アイオロスの弟・・・アイオリアであった。

 彼が、弟をこの聖域に招いたのは極最近のこと。
 故郷の父親が亡くなったため、教皇の許可を得た上で、アイオロスが引き 取ったのである。
 通例として、黄金聖闘士のような一部の許された聖闘士は、雑務や 身の回りの世話をさせるために、自宅や宮に兵を置くことが許されている。
 アイオロスも例外ではなく、彼が宮の守護にあたる際は弟の元に兵を 置いていくようにはしていたが、今日はすでに帰してしまっている。

 父親の死はアイオロス自身にとってもショックなことであったろうが、 先に母を亡くしていたこともあったし、父自体・・・大往生とはいかない までも、かなりの高齢だったとの話も 聞いているので、それ程普段と様子が変わるようなことはなかった。
 だが、アイオリアが、肉親の死のショックから立ち直るためには時間が かかることであろう。
 まして、見知らぬ土地で、頼れる者は生まれて始めて顔を合わせたばかりの 実の兄一人・・・

「アイオリアを人馬宮に連れて行くといい。この家にいるよりは 安全だろう」

 現に、屋根や壁に叩きつけられる雨粒や突風の勢いは、尋常なものではない。 気候の温和なこの地方の家屋の造りなど、たかが知れているのだ。
 寝入ったばかりの幼子を無理矢理起こした上、嵐の中の移動をさせるのは 酷な様な気もするが、それも短時間のことである。
 先日称号を手にしたばかりの幼い黄金聖闘士達は、 まだ各々の宮を守護する任は与えられておらず、新たな修行のために 聖域を離れているのだ。
 実質3人の黄金聖闘士でこの事態に対応するしかないのである。

「だが・・・俺だけ・・・」

 特別扱いを望まない彼の性格は、サガも良くわかっていた。

「理由はもう一つ。・・・この嵐の中、崩れかけている岩肌を押さえ込む方法 が、存在するだろうか」
「それは・・・」

 到底、力任せにできる作業ではない。

「とりあえず応急処置でいい。・・・岩山の表面を一瞬にして強固に 凍結させる・・・そんな芸当ができるのは、アクエリアスのレイファだけだと 思うのだが・・・」



「なるほど・・・彼らしい」

 今までの経緯を聞いてレイファがそう答えた。
 嵐の中、サガと共に数名の兵を引き連れて問題の岩山へ向かう途上の ことである。
 極簡素な雨具を身に付け、傍目には聖域の人間の姿とはわからないで あろう出で立ちである。
 この風雨では松明を灯すこともできず、互いの小宇宙を放出し続けることで 辺りの様子を覗いながら進んでいた。

「ここか・・・」

 やがてその岩山に辿り着くが、レイファの口調は心なしか苛立ちを 現していた。

「こんなに大きな亀裂が入っているとは・・・これでは岩の表面だけを凍結 させるというわけにもいきませんね」

 サガの言う通り、その岩山の中央には、確かに昨日まではなかったはずの 大きな亀裂が走っている。
 それは、亀裂というよりは『洞窟』と呼び変えても良いくらいの規模のもので あったから余計タチが悪い。

「一気に内部から凍結させるか・・・いや、この岩の具合から考えて、 衝撃に耐えられるかどうか・・・」

 黄金聖闘士が2人も派遣されたのには、万一の事態に備える・・・という 意味合いも含まれていた。
 凍結に失敗したり、作業が間に合わなかった際は、最低でも麓の村への 被害だけでも食い止めなくてはならない。

「何かあった時は、私に任せて・・・貴方は一刻も早く・・・」

 そう言いかけたサガを制し、レイファは亀裂の方へ歩み寄る。

「何かあってからでは遅い・・・まずは中の状況を確認する。・・・作業は それからだ」

 レイファの言い分はもっともであるし、 彼の方が聖闘士としても先輩である。
 サガは素直にそれに従うと、兵達に松明の用意をさせた。

「神話の時代から、聖域を守り続けてきたという岩の壁だ・・・先に降臨した 女神が守護する小宇宙も弱まっているこの時代・・・こんなトラブルが 多発するのは仕方のないことなんだろうな・・・」

 亀裂の中に足を踏み入れたレイファはそう口にした。

 そこは、本当に洞窟の中であるかのようだった。
 松明で照らしながら岩壁を見ると、中には今回生じたらしい亀裂も 見られたが、判断するに元々この岩山の内部には閉ざされた 洞窟状の空洞があったのであろう。
 それは、迷路とまではいかずとも枝分かれなども見られ、決して単純な 造りであるとは言い難いものであった。
 時折至る所から外気が流れ込んでくることを考えても、新たな 亀裂自体もかなり広範囲に広がっているらしい。

「やるのなら・・・山の反対側からだな。・・・聖域側に崩すくらいの 気持ちでないと、大惨事になりかねない」

 念のため兵を派遣し、麓の住人はすでに避難させられているはずであるが、 この岩山全ての砕け散った岩石や、辺りを支える土壌の大半が麓に崩れ落ちたと すると、村を乗り越えてそのまま谷をつたうように一気に街の方にまで被害が 拡大する可能性も否定できない。
 それよりは、聖域側に向かって岩山を破壊してしまった方が 安全であろう。
 岩山から、聖域中心部まではかなり距離が離れているため、 直接の被害は及ばない。
 事後処理が面倒なことになるであろうが、背に腹は変えられない。

「そうと決まれば、反対側にまわりましょう。これ以上洞窟探検を続けるのは 無意味なことで・・・」

 サガがそう言いかけた時、洞窟内に僅かな振動が走った。

「そうだな・・・あまりのんびりしているヒマもなさそうだ」

 亀裂が更に広がってきている。
 岩山の崩壊が近い証拠であった。

「うわっ!」

 二人の後についていた兵の一人が声をあげた。
 振動のためか悪い足場のせいか、バランスを崩して転びそうになる。

「あ・・・火が」

 咄嗟のことに松明を落としてしまったのであろう。
 普通、そのくらいのことで火が途絶えたりはしないものであろうが、運の ないことに、それが落ちた場所には亀裂から雨水が染み出して 溜まったと思われる大きな水溜りができていた。  慌ててそれを拾い上げた時には火は燻りはじめ、やがてそれは白い煙と共に 消えてしまった。

「誰か・・・火を」

 サガが指図する。

 先刻のように小宇宙を発しながら辺りの状況を探ることもできないではない が、今にも崩れ落ちそうなこの洞窟の中でそれをやるべきではない。

「お待ちください。今すぐに・・・」

 兵の一人が暗闇の中で手探りで装備を探しているような気配がした。
 ところがそれとは別に、もう一つ、 何かを擦り合せるような音が聞こえた。

「火なら、ある」

 そう言ったのはレイファ。
 彼の手には、赤く揺らめく炎・・・ライターが握られていた。

「予備の油はあるか? 布も巻きなおした方がいい」

 兵達が作業をしやすいようにとその手を彼等の方へ伸ばしたまま指図を 続けるレイファの姿を見て、サガは奇妙な感覚に捕われている自分に 気が付いた。

 物心付いた時から聖域で暮らしているとはいえ、サガとて俗世間の風習や 風潮を知らないわけではない。
 当然、ライターという便利な道具のことも知ってはいたし、何のための道具 かということも理解していた。
 ・・・そう、ライターとは、もちろん『火をつける道具』であることに 違いはないが、それよりも『煙草を吸うために用いる道具』・・・と、言い 換えた方が的を得た表現であろう。
 新し物好きで好奇心旺盛なアイオロスが面白がって持っていたり、 これがあのカノンであるというのならまだしも、サガには・・・レイファと この『道具』とが、どうしても結びつかないような気がして ならなかったのである。

 アクエリアスのレイファとは、黄金聖闘士になるために生まれてきたような 男だと思っていた。
 完全主義で、常に高い理想を掲げる、非の打ち所のない聖闘士・・・ それがサガの見解であった。

 ・・・が、アイオロスは彼とは別の印象をもっていたのも事実である。
 現に彼等は比較的親しく会話しているようであったし、そればかりか、 彼とカノンとが楽しげに語り合っていた・・・という話も 聞いたことがあった。
 あのカノンが、『楽しげに語り合う』のかどうかは別にして、レイファが、 アイオロスやカノンには自分に見せる姿とは別の一面を曝け出していたのは 事実であろう。

 ――――― なぜ。

 自分がカノンに劣っているなどと、考えたこともなかった。

 自分はカノンの兄で、先に『黄金の星の輝き』を見出され、黄金聖闘士の 称号も手に入れ、誰からも実力を認められ信頼もされている。

 レイファの意外な一面を目の当たりにした小さな衝撃と、生まれて初めて 感じたカノンに対する嫉妬心に似た感情とが、 サガの躯を支配していた。

「血の・・・匂いだ」

 不意に響いたレイファの声が、彼の思考を引き戻した。

「な・・・? ・・・そ、そう言えば、確かに・・・」

 動揺を隠しつつサガも答えた。

 匂いは極僅か。さほどの量でないのか、それとも距離的にかなり離れている かのどちらかである。
 ただ、外の豪雨の状態では、こんな微弱な匂いが広範囲に伝わることは 考え難い。
 となるとその発生源は、この岩山の洞窟内・・・ということになる。

「麓の方からも亀裂が走っているのかもしれませんね。雨宿りのつもりで、 誰かが洞窟内に迷い込んでいるのかもしれない・・・」
「仕方がない・・・捜索を続けよう。一通り探してみて何も見つから なかったのなら、その時はそれで構わない」

 こういう考え方は、まさしくレイファらしい。
 一時の感情や衝動に流されることなく、 理論を重んじ、最終的な結果を重要視する・・・
 もし、これがアイオロスであったのなら、自らの危険も顧みず、 『人が残っている可能性のある以上捜索は続ける』・・・と言って聞かなかった かもしれない。

 ――――― だが、もしも・・・

 もしも、ここにいるのが自分ではなく、カノンであったとしたならば・・・ 彼は別の答えを導き出していたのだろうか・・・

 不意に、先刻の思考が蘇る。

「時間もない。二手に分かれよう」

 彼は話を続ける。

「私はこのまま進む。サガは兵を半分連れて、 少し戻ったところにあった分かれ道の方を頼む」

 全てはレイファが仕切る。
 今までもそうであったし、当り前のことであった。

 ――――― だが・・・

「・・・了解」

 右の拳を握り、口元を僅かに吊り上げて笑みを見せる。

 ――――― 俗な行動だ。

 絶対に今までの自分なら、考えもつかなかったかのような行動。

 まるで・・・カノンを意識したかのような ―――――

 レイファが、そんな彼の姿に気がついていたのかどうかは定かではない。
 それはほんの一瞬の出来事で、サガ自身も自らのその行為について考えを 巡らす余裕もなかった。

 岩盤が、小さな音を立てて、震え始めていたからである ―――――





『SAGA』 第一章 第七話に続く・・・

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あとがき・・・


 前にも書きましたが・・・レイファの性格・・・ やっぱり謎っぽいですね〜
 自分では把握しているつもりなのですが、 イマイチ文にするとなると・・・

 次回は・・・って、言いかけておいてなんですが、今回は予告なし☆





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