『SAGA』 第一章






第十六話 『旅立つ者』



 石造りの階段が足に馴染んできたと感じるようになって、どのくらい経つだろう。

 ここ聖域では、ありふれたそんな情景も、他の修行地で過ごしてきたものにとっては新鮮な 光景に違いはない。
 特にこの十二宮の階段は他の場所に設置されているそれと、材質も作りもほとんど同じように 見受けられるものの、その一段一段に染み付いた先人達の小宇宙に守られているような感覚に 捕らわれることも少なくはない。

「・・・で、そんなに腕がたつわけか?」
「まさか・・・本気でやるわけにもいかないだろう」

 その石段を早足で歩きながら、横からの問いにそう答える。

 聖域に来る前は、共に歩く者の存在など意識したこともなかった。
 そんな『日常』に慣れつつあるのも事実。

 決して不快なわけではないが、それでも時には鬱陶しく感じることもある。

「それで・・・その傷か」

 一番触れられたくないところに話が及んだことに、アフロディーテは露骨に顔をしかめる。

「言っておくが、これはただのかすり傷だ」

 突然の鋭い口調に、シュラは一瞬足を止める。

 しかし、そう言うアフロディーテの腕には真新しい包帯が仰々しく巻いてあり、 一瞥した限りではあるが『かすり傷』表現するには若干無理がある。
 聖衣を纏えば、隠れてしまうのであろうが、今の彼はそうではない。

「傷が目に入るのが鬱陶しいから、包帯を巻かせただけだ。何なら・・・見るか?」

 彼にとって、その傷は不快極まるものだったのだろう。
 『傷が目に入るのが嫌だ』ということは、その傷を『見たくもない』・・・と言い換えることも できるのである。
 そうまでして、自らの視界から遠ざけたはずのその傷を、今度はその程度の軽さを証明するために と、わざわざ他人に見せようとまでしている。

 そんなに言うからには、本当にかすり傷なのであろうが・・・ こんなに些細な事柄にムキになる彼を見ることは珍しいことであった。

「・・・いや、巻き直すのが面倒そうだから・・・いい」

 迫力に押されたのか、シュラはそう答えざるを得なかった。


 その前日、聖域では新たな黄金聖闘士の候補生達による称号試験が執り行われていた。

 当初の予定では、試験は空位の5つ。
 全ての試験が順調に進み、間もなく降臨するといわれている女神に導かれてか、5つ全ての試験に 合格者が出揃ったという報告を、自らの宮で受け取ってからしばらく間を置いて、さらにもう1人の 合格者が出たと聞いた時、さすがのシュラも驚きを隠せなかった。

 後に、直接教皇からその経緯を聞かされたものの、さすがに試験の詳しい話まで 根掘り葉掘り聞き出すわけにもいかず、こうして実際に試験に立ち会った者に聞こうと 試みているわけであるが、肝心のその相手がこうも不機嫌では話も進まない。


 シュラが知る限りでの、昨日の出来事はこんな具合である ―――――



 突然現れた、ムウと名乗る候補生は、いくら幼いとはいえ、聖闘士の候補生としてはかなり華奢な 体つきの、戦闘には不向きのタイプに見える少年であった。

「教皇・・・?」

 言われるがままに、闘技場に降り立ったアフロディーテではあるが、 思わずそう言葉を発する。

「今・・・アリエスの候補生・・・と仰いませんでしたか?」
「その通り。アリエスの候補生だ」

 黄金聖闘士の候補生については、全て公には伏せられている。
 だから当然、彼の知らない候補生がいたとしても決して不思議なことではないし、それ自体に 何の疑問もない。
 だが、試験立会人である者達にすらその寸前までその存在を隠し、しかも通常のような実技試験の 対戦相手を選ばずに側近達を人払いまでしてしまうという尋常でない状況。

 しかも、その試験で得られる称号は『アリエス』なのだ。

「教皇・・・彼は確か・・・」

 そう話を続けたのは、もう1人の立会人・サガである。
 僅かに教皇の首が振れる。
 無言でサガに肯定の意を示したようにも見受けられたが、それ以上の発言を制しているかの ようにも感じられた。

「いかにも。・・・アフロディーテ、このムウは私・・・シオンがアリエスの聖闘士として育てた 弟子だ。教皇が在位中に聖域を何度も離れていたことは、できるだけ伏せたかったのでな。 寸前まで試験を執り行う兵達や黄金聖闘士達にも一切口外していなかったのだ。・・・ そのようなわけで、こういった異例な形式をとらせてもらうことにしたのだが、 依存はないだろうか・・・」

 教皇が在位中に、そのような行為ができるのか否かという疑問が湧き上がらなかったといえば 嘘になるかもしれないが、このような場で問いただすようなことでもないし、 教皇の命は絶対である。

「いえ・・・わかりました。続けてください」

 恐らくサガは、何かを知ってはいたのだろうが、それはどうでも良いことだ。

 教皇に命ぜられた通り、この闘技場でこの候補生の組み手の相手をすれば 良いだけのことである。


 ――――― そして、その候補生は見事実技試験に合格し、その後の小宇宙を試すための試験を 経て、称号を手に入れた・・・



「まあ・・・どっちにしても、これから当人を見ることはできるわけだし・・・」

 これ以上、彼を刺激するのはやめておこうと、シュラは溜息をついた。

「ああ、そういえば・・・午後から新入り達のお披露目だと言っていたな・・・」

 さほど興味なさそうに彼は言う。
 確かに、全ての試験に立ち会った彼にとっては、新たな黄金聖闘士の顔ぶれなど興味もないこと なのであろうが・・・

「なら、なぜこんなところまで来る? 磨羯宮はとうに通り越したぞ」

 シュラが聖衣を纏ったままだということも気にかかってはいた。

「教皇に呼ばれているんだよ。昨日の今日で忙しいことだがな・・・」
「そして午後からまたお披露目か・・・休む暇がなくて気の毒だな」

 口だけでそう言って、アフロディーテは先に立って歩き出す。

「そう言うお前は、どうして?」

 確かに、教皇に呼ばれているのはシュラだけのはずで、彼がこの時間に十二宮を上る意味は何も ないはずである。

「自宮に戻るんだよ。聖域居住区は騒がしくてかなわないからな」

 確かに、早朝に公式に伝えられた新たな黄金聖闘士の誕生のニュースに、聖域は近年にない 盛り上がりを見せていた。
 シュラ達が称号を得た時もそうであったが、今回は全ての称号が埋まったということもあり、 その歓喜の声は尋常ではない。
 普段から厳しいことで知られる養成所の者達や、聖域周辺の警護を任されている雑兵達までが、 互いに賛辞の言葉を述べ合い、その喜びに浸っている。
 まるでそのお祭り騒ぎのような聖域の様子に、サガも辟易しているようであった。
 そのサガは、今は双児宮で護りについている。

「・・・双魚宮からなら、教皇の間まで近いからギリギリまで休めるな。・・・教皇の用が 済んだら、午後まで双魚宮で休ませてもらえないか?」

 シュラのその問いに、アフロディーテは答えを返さない。
 先刻からの不機嫌さを考えれば当然の反応と考えられるから、シュラの方も一向に構わず そのまま歩き続ける。

「・・・・・・」

 不意に、先を歩くアフロディーテが足を止めた。

「・・・?」

 わざとらしく怪訝そうな顔をして見せたものの、 肝心の彼が振り返らないのでは意味がない。

「アフロディーテ・・・?」

 耐えかねて、結局そう声をかける。

「 ――――― シュラ・・・悪いがしばらくの間、聖域を離れようかと思っているんだが・・・ 後のことを頼めるか?」

 振り返らぬままで、彼はそう言った ―――――



 ちょうど同時刻、聖域では早朝に伝えられた新たな黄金聖闘士の誕生の知らせが、世界各地の 聖闘士達や聖域に関わる者達の多くに伝わり始めた頃であろうか。

 伝令に走る兵達は、聖域での発表以前にその事実を知らされ、その光栄な任務に喜び勇んで 各地へと散っていった。


 聖域から近い場所であるならば、既に伝令の兵はその用を終え、別の地へと向かったか、それとも 持ち場に戻るかしているはずである。

 だが、辺りの風景は、それを感じさせないほどに『日常的』なものであった。

 日常的・・・とはいっても、俗世間のそれとは異なる、聖域に生きる者の『日常』と言い換えた 方が正しい表現であろうか・・・

 所々抉れた岩肌や、なぎ倒された木々。
 そんな光景の中に溶け込んでしまっている生活感のない小屋のような家・・・

 その気候は、聖域と同じ地中海独特のそれであるはずなのだが、閑散としたその光景は、 寒々しさすら覚えるような気がする。


 ――――― いや、彼にとって、聖域のそれも同じようなものであったのだろう が・・・


 小宇宙を探るまでもなく、人の気配が小屋の裏手から感じられた。

 ――――― 1人。

 辺りに他の人の気配はない。

 それを確認すると、彼は躊躇することなく小屋の方へと歩を進めた。
 近づくにつれその小屋は、質素な造りではあったが、比較的新しい物であることがわかる。
 このような場所には若干そぐわなく感じられる、丸木造りの小さな山小屋のような 家であった。

 中に人がいないのはわかりきったことである。
 入り口には目もくれず、彼はそのまま裏手へと廻る。

 果たして、そこには ――――― 殺風景な岩の壁を見つめるように腰を降ろしたまま動かない 見慣れた男の姿があった。

 彼の存在に気付いていないはずはないが、微動だにしない。
 振り返ろうとも、声をかけようともせず、ただその場に座していた。

 ここに来て、彼は僅かに躊躇する。

 ――――― が、それも一瞬。

 自らを奮い立たせるように、僅かに一歩足を踏み出し口を開く。

「・・・あんたに、話がある」


 男の背中を見据えて、彼 ――――― カノンはこう言った。





『SAGA』 第一章 第十七話に続く・・・

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あとがき・・・


 随分と間が空いてしまいました・・・
 星矢小説は、他のジャンルの小説よりもこまめに更新していくつもりではあるのですが、 ちょっと事情がありまして・・・

 ここ最近、星矢の某新しい連載作品などが世間を賑わせておりまして・・・
 そう。
 黄金聖闘士達がメインのその作品をオフィシャル設定と考えると、この『SAGA』は矛盾だらけ の作品となってしまうわけでして・・・
 ・・・っていうか、これ書いている意味すらないわけでして・・・(泣)

 でも・・・開き直りました。
 当初の予定通り、突っ走ります。
 例えこの後、例の新作に新たな展開が訪れようと、原作者様が新設定を打ち出そうとも・・・ あじは28巻終了時の設定を元に話を進めていくことをここに誓います。(誓ってどうする)





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