『SAGA』 第一章






第十五話 『最後の試験』



 ひどく長い通路 ―――――

 まるで、永遠に続くと思われる闇の中、自らの足音だけが辺りに響く。
 常に意識を集中させていなければ、その闇の中に引き込まれてしまうかのような錯覚さえ 覚えるであろう奇妙な空間・・・

(・・・くだらんな)

 声にしたわけでもないし、思考の表側に浮かび上がらせた言葉でもない。
 深層心理の奥の奥・・・
 例えどんなに優秀なテレパスであっても、それを読み取ることはできないであろう思考の内壁の 中で、彼はそう呟いた。

 何の修行も積まぬ者なら、数分で気が違ってしまうであろう深い闇も、彼にとっては滑稽な 子供騙しにしか過ぎなかった。

 それでも、例えそれなりの修行を積み、ある程度の小宇宙を持った者であっても、 この深い闇と意識の中に無理矢理入り込んでくるかのような様々な小宇宙に全ての感覚を狂わされ、 不安や恐怖を感じることは無理もないことで、恐らくはそれが 『試験』そのものなのであろう。
 それがわかっているため、彼は『闘う目的は何か』とか『聖闘士として目指すものは何か』などと いう、辺りから不意に浴びせられる小宇宙の問いにも至極真面目に答えていたし、自らの欲望のみを 掻きたてるかのような邪な誘いの言葉をも一つひとつ丁寧に拒絶した。

 ここを訪れた者達の多くが『騙されて』いるのであろうこの通路は、恐らくはほんの 数10メートルほどの長さ。
 通り抜けるのに、普通に歩いても1分もかかるまい。
 それが実際に入った者にとっては、数時間はおろか、永遠にさえ感じてしまうのであろう。

(仕方あるまい・・・『神』の修行を受けた私の基準で試験をするわけにも行かぬからな)

 再び思考の奥でそう呟く。

 『神の修行を受けた』という表現には若干の語弊がある。
 正確に言い直すなら、『神に最も近かった者』からの修行を 受けた・・・といったところであろうか・・・

 神話の時代から現在に至るまでの気の遠くなるような時が流れる間に、その多くが失われて いったと言われていたが、本来、聖闘士にはそれぞれ個別の『役目』があったのだという。
 この時代においても『黄金の武器』を女神に変わって管理することを許された天秤座の聖闘士や、 女神を守るために教皇の間までの通路を塞ぐ能力を持つ魚座の聖闘士等、幾つかの役目が 残されている他、厳密な形での『役目』として残らずとも、様々な形での特殊能力が聖衣そのものに 備わっていたり、それがその称号を手に入れるための条件として必要なものとなっている ケースも少なくはない。
 アクエリアスのレイファの後継者に凍気の技を身に付けさせるために、教皇が既に聖域を離れた はずの元聖闘士に再び称号を与えるなどという異例の措置をとったことを考えると、 その重要性もわかるものだろう。

 それは単に、あらゆる事態、あらゆる敵に対応できるため・・・という意味合いも 持ってはいるのだが、実はその表向きの理由の他にも、聖域内部の力関係の均衡を取るためという 別の意味も持ち合わせていることはあまり広くには知られていない。

 同一・同系列の能力を持った者ばかり集まった集団の中では、その中の誰かを『最も強い者』 として認識するのは容易なことである。
 それが必ずしも悪影響を齎すとは言い切れないが、その『実力者』が他を間違った方向へと 誘う可能性がないとも言い切れない。
 それぞれの聖闘士がお互い異なる能力を持つことは、外敵から身を守るための手段として だけでなく、内部の災いを牽制するための予備策でもあったのだ。

 そして例外中の例外として・・・ではあるが、聖闘士にとって絶対的な存在である 『女神』そのものが災いの種となることもありえると過去の聖域では考えていたようだった。

 事実、史実としての記録などは残っていないほど昔の聖域初期の事件として伝えられていること なのだが、女神・アテナとして降臨してきた赤ん坊が様々な災いを引き起こしたことがことがあり、 聖域だけでなく全ての人間達の脅威となったことがあると言われていた。
 実はその正体は、女神として生まれ来るべき身体を先に乗っ取っることに成功した邪神で あったと伝えられているのだが、女神こそが絶対無比のものである聖闘士達に『アテナを疑う』という 行為自体考えられることではなく、そのような事態に陥った時に、通常であるならば、 それを回避する術はないに等しいのだ。


 ――――― 乙女座の聖闘士は、オリンポスとは別の世界に住まう 神の心を持つのです ―――――


 彼の『師』の言葉である。

 彼、シャカには2人の師がいた。
 1人は聖域から、彼の故郷であるインドまでわざわざ出向いてきた養成師で、聖闘士としての 技や技術、そして知識を授けてくれた『実在の師』。
 そしてもう『1人』は、先代の乙女座の聖闘士の『魂』 ―――――

 『彼』は、シャカの住まう土地で信じられている『神』の姿を借りて、『神に近づく』ための 修行を成した。
 既に何十年も前に亡くなっているはずの先代の聖闘士の『魂』が現世にて修行するなど、 他の聖闘士達にとっては信じ難いことなのかもしれないが、それを可能にするだけの力を持っている こと自体が『最も神に近い存在』と言われる由縁なのだろう。


 ――――― あくまでも、聖闘士は女神に忠誠を誓うもの ―――――


 これも『師』の言葉である。


 ――――― そして・・・忠誠を誓いつつも、自らの神を信じるのです ―――――


 女神に忠誠を誓いつつも、女神とは別の視点での物の見方をし、時には女神を正しい方向へと導き、 時には全力で否定できるだけの 力を持つために、神にも等しい力を持たなくてはならない。

(まだ、今の私では・・・神の足元にも及ばぬだろうが・・・)

 出口が見えた。

 闇の中に、僅かに差し込む光。
 今までにも幾度か現れた、まやかしの光などではないことくらい一瞥でわかる。

(この程度の試験が黄金の称号を手に入れるための最終試験とは・・・)

 十二宮のほぼ中央、聖闘士の要とも呼ばれるライブラの守護する天秤宮と隣り合わせに存在する バルゴの処女宮は、別の意味での聖闘士の要的存在なのである。

 バルゴの候補生、シャカは自らが他の聖闘士とは違う存在であることを改めて認識した。

 この通路を抜けたところで、合否が告げられると聞いていた。
 だが、当然そんなもの聞くまでもない。

 わかりきったことなのだ。


 ――――― 私は、いずれ・・・『最も神に近くなる男』なのだから。



「そろそろバルゴの小宇宙試験が始まった頃か・・・となると・・・」

 サガは、横に控える兵に声をかけた。
 間もなく2日目の最初の実技試験に合格したタウラスの結果が伝令されてくる頃であろう。

「・・・タウラスか。確かアルデバランといったな。良い名だ」

 答えたのは教皇であった。
 『アルデバラン』とは、天に輝く牡牛座を形作る1等星の名でもあり、その牡牛座を守護星座に 持つ者にとってはある意味一番相応しい名と言い換えることもできるだろう。

「確か、聞くところによると・・・彼の師である養成師は彼の父親でもあるとか」
「正確には、遠縁の身寄りのない赤子を引き取ったと聞いていたが、 その折にそう名付けたらしい」

 アフロディーテの問いに答えたのも教皇であった。

「彼の師は、結局は適わなかったが元々はタウラスの候補生だったことがあると聞いている。 その星の名にあやかってつけた名なのだろう」

 聖闘士に限らず、聖域に関わる者達の中の多くの者が、星や神話にあやかった名を持つことは 珍しいことではない。

 偶然、星の巡り合わせのようにそういった名を持った者が聖域を訪れ、聖闘士の称号を得ること も稀にはあったが、その大半は、聖域関係者が自らの血縁の者や身寄りのない子を引き取る 際に星の守護が得られるようにとその名を授けたというケースが殆どで、そのため 全く自分の名に関係のない守護星座の称号を得てしまった聖闘士の存在というのも それほど珍しい話ではないという。
 その場合、称号を得た際、または得る前に改名する者も多い。

「まだまだ技も荒削りだったが、見込みのある候補生だったからな。 恐らくは良い結果が届くであろう」

 いつになく口数の多い教皇に首を傾げつつも、 サガは闘技場の外へと通じる通路に視線を移す。
 伝令の兵はまだ見えない。

「いかがいたしますか? タウラスの試験結果は間もなく届くでしょうが、バルゴの結果も お待ちになるということであれば、まだ少し時間がかかると思いますが・・・」

 合格者が出ているのであれば、この後引き続き、昨日の試験に合格した3人と同じく、 聖衣と称号を授ける儀式を執り行わなければならない。

「タウラスが合格していれば・・・の話ですが、伝令を出して、 先にタウラスを呼び寄せましょうか?」

 普段なら、これらの指示は教皇の方から言い出すことである。
 黄金聖闘士の試験に限らず、聖域で行われる称号や役職の試験の殆ど全てには教皇が立ち会う ことが多いため、その日程や進行方法は全て教皇のスケジュールに あわせたものとなっているのである。
 だからわざわざサガ達黄金聖闘士がそのように言い出すことは滅多にない。

 昨日の試験もそうであったが、大抵の同じ日に複数の試験がある場合、 途中休憩の時間を置くなどして、先の実技試験の合格者の小宇宙試験の結果を確認してから 次の実技試験に移るのが通例であったが、今日の試験は、タウラス・バルゴと立て続けに行った。
 教皇は何も語らなかったが、試験の後に急用でもあるのかと、サガなりに気を回してそう持ちかけて みたのであったのだが・・・

「いや・・・悪いが、一旦人払いをしてくれ。側近の者達はもちろん、伝令もしばらくは 闘技場内に立ち入らせるな」

 教皇の突然の言葉に、一瞬サガは言葉を失った。

「あの・・・一体それは?」
「話は後だ。タウラスとバルゴの候補生はしばらく控え室で待たせよ」

 何がなんだかわからぬままに、サガは後ろの兵にそれを告げた。
 すぐに、彼らの全てが闘技場から姿を消した。

「教皇・・・一体・・・」

 それを目で確認してからサガはもう一度そう問うた。

「アフロディーテ、すまないが聖衣を外してもらえないか」

 サガの問いには答えずに、教皇は逆の位置に控えるアフロディーテにそう言った。

「・・・・・・?」

 怪訝な表情を浮かべつつも、彼は素直にそれに従い、その後更に教皇に言われた通りに闘技場へと 降り立った。

「教皇・・・?」

 闘技場のほぼ中央にてこちらを見上げているアフロディーテと、教皇とを見比べながら、 サガはもう一度そう問いかける。

 しかし、教皇はやはりそれにも答えずに、突然高らかな声でこう宣言した。

「異例な形ではあるが、称号試験を続行する」

 突然のことに、サガはもちろんアフロディーテも驚きの表情を隠せずにいた。

 今回の試験は、2日で計5回。
 順に、レオ、アクエリアス、スコーピオン、そして日を改めタウラス、バルゴ・・・で、 滞りなく終了であるはずだ。
 既に在位中のアリエス、ジェミニ、キャンサー、ライブラ、サジタリウス、カプリコーン、 ピスケスの7人と併せると、もちろんタウラス達が合格すればの話ではあるが、12星座全ての 称号がそれぞれの聖闘士に与えられている、なんとも心強い状態になるのである。
 むろんそれは、女神の降臨が近いということを意味し、同時に聖戦の幕開けが近いということをも 意味しているわけでもあるのだが・・・

 その時サガは、不意に2年程前のある出来事を思い出した。

 教皇が、新たな修復師を育てるために、人知れずジャミールに赴くという話を聞いた折、 修復師としてのではなく、黄金聖闘士としての後継者に適任者が見つからない・・・と嘆くような ことを言いつつも、どことなく言葉を濁したかに見えたあの時のことを・・・

「・・・まさ・・・か」

 すぐ横の教皇にすら聞こえぬほどの小声でサガは呟いた。

「候補生は1名のため、実技試験は形式として執り行う。ピスケスの黄金聖闘士アフロディーテ、 彼の者を女神の名の元に神聖なる黄金の称号試験の実技試験対戦相手として任命する」

 候補生が1人のみの黄金の称号試験と同じく、教皇はそう続ける。

 本来なら、その相手は若い白銀聖闘士が務めるべき役目である。
 怪訝な顔のまま、更に眉をひそめて、それでもアフロディーテは儀式にのっとり教皇に一礼した 後、所定の位置・・・すなわち、試験の対戦相手白銀聖闘士が控えるべき位置につく。

 そしてそれとほぼ同時に、教皇はこう宣言を続けたのである。

「 ――――― アリエスの候補生は前へ!!」

 サガの想像は当たっていた。
 通路の奥から現れたのは、一度自宮で顔を合わせたことのある修復師の卵・ムウと名のった 少年だったのである。





『SAGA』 第一章 第十六話に続く・・・

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あとがき・・・


 ・・・本当は、シャカより先にアルデバランを登場させるつもりだったんですけどねー。
 なんだか話の流れで順序が逆になってしまいました。
 なんか、シャカ・・・って、書けば書くほど『エラソー』になっていって、あじ的にも 何がなんだかいまいちわからなくなってしまったのですが・・・(笑)

 とりあえず今回の話は、『聖闘士達の名前の謎』に迫る目的で書く予定だったのです。
 だって、牡牛座の聖闘士が『アルデバラン』なんて、ある意味でき過ぎた名前だし、 他にもアルゴルとかシリウスとか・・・挙げていけばキリはないですが、神話や星からとったと 思われる名前の聖闘士がたくさんいるわけで・・・状況的には、これって結構変な話ですよね?
 もちろん『星の巡り合わせ』って言ってしまえば、お手軽なんでしょうけど。

 それにしても、シャカの方の話といい、ホントに『解説君』な小説になってますよねー。





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