『SAGA』 第一章






第十二話 『教皇・シオン』



「教皇。ジェミニのサガ参りました」

 静かに大きく息を吐き出してから、サガは凛とした声でそう言った。

 最後に教皇に謁見したのは、レイファの死を報告に来た時であったはずだ。
 死の間際、レイファが数度の小宇宙を幾人かに飛ばしていたことから考えても、当然のことながら 教皇はその報告内容を知っているはずであったが、それでも気が重い報告であったことには 違いない。
 例え幼少の頃であっても、聖域の厳粛な雰囲気に気圧されることのなかった彼ではあったが、 未だにこの教皇の間を訪れる際には、それなりの緊張感を覚えていたわけで、 その時だけが特別だったというわけでもないのであるが・・・

 もちろんこの日も、彼は緊張の糸を適度に張って、その玉座に歩み寄ったのである。

 緊急事態でもあるまいに、側近の兵などは全て人払いしてしまっているらしく、 その一風奇妙な状況が、彼の緊張感を更に高めていると言い換えることもできた。

「先刻、宮の守護をアイオロスと交代してまいりました」

 こちらから、『御用は?』と、切り出すべきか否かわずかに躊躇った末に、彼はそのまま 口の動きを止めることを選んだ。

 大方の見当はついている。
 先刻突然現れた『修復師』の卵を名のった少年と呼ぶにも満たない子供のことであろう。

「実はな・・・サガ」

 特別何の前置きをすることもなく、教皇はそう言った。

「何の相談もなく悪かったとは思うのだが、私は弟子をとることになった・・・いや、 もう『とった』と言い換えた方が正しいか・・・」
「それについては、先刻ムウと名のる幼子から直接聞きました。それが何か?」

 平静を装っているものの、その心中は決して穏やかではなかった。

(一体、教皇は何をおっしゃりたいのか・・・)

 サガの心中を支配していたのは、純粋に・・・その疑問ただ一つだった。

 これから弟子をとることに対しての相談とでもいうのならまだしも、すでに決定してしまった ことについて、それ以上彼に何を望んでいるのか。
 それに ―――――

「サガ、思うことを言ってみてはどうだ?」

 不意に向けられたその質問に、サガは一瞬狼狽しながらも、それすら悟られないくらいの間しか 開けずに言葉を連ねた。

「おっしゃっている意味が、明確にはわかりかねているのですが・・・つまりは教皇が師となって 新たな修復師を育てる・・・という形で捕らえても構わないのでしょうか?」
「その通りだ」
「すでに、決定してしまったことについて申し上げても良いものか・・・しかしながら、お言葉を 返させていただきます。・・・私は、 この場で教皇をお止めしなくてはならないと思うのです」

 サガの言葉を聞いても教皇は微動だにしない。

「本気で・・・この聖域を離れるおつもりですか」

 声を荒げる・・・というほどのものではなかったが、普段より幾分強い口調でそう問うた。

 ここで『修復師』について、若干の説明を加えておかなくてはならない。

 『修復師』とは、文字通り聖衣を修復する技術を持ち合わせた者の呼び名である。
 聖域においては、『星術師』と同じくかなり特殊な能力に分類される役職であって、 当然誰もがなることのできるものではない。
 サガも詳しくは知らされていないことであったが、修復師とはある特別な能力を有した 一族の血をひく者であるらしく、その一族は遥か東の偏狭の地に人知れず 根付いているのだという。
 特別な能力とは、聖衣の修復に用いるために必要不可欠なもので、一例をあげると、 その血をひくものは何の修行もせずとも生まれつき、黄金聖闘士には遠く及ばないまでも、 並みの聖闘士が小宇宙の燃焼において行うテレパシー能力や、 初歩のテレキネシス能力を何の苦もなく使いこなすことができるのだと言われていた。

 そして、教皇シオンがアリエスの黄金聖闘士であるのと同時に、その一族出身の修復師である ・・・ということは、公にはされていなかったが特別隠し立てをしているわけでもなく、 多くの者が知っている事実でもあった。

 そのシオンは、この時代最後に残った修復師。
 いや・・・正確には、修復師の技術は一子相伝と言われていたため、シオンが弟子を取らない限り、 新たな修復師は誕生することはなく、その点からもシオンが弟子をとるという話は、 本来ならば歓迎すべきことなのである。

 だが、たった一つだけ問題があった。
 修復師の技術を身に付けるためには、聖域から遠く離れたジャミールと呼ばれる地において 修行をしなくてはならないのである。
 そのしきたりに何の理由があるのかは、ほとんどの者が知らぬことではあったが、 実際に当のシオンもそのようにして修復師の技術を、そしてアリエスの称号をも手に入れたのだと 聞いたことがあった。
 つまり今度も例外なく、シオンが弟子をとるということは、シオンがジャミールに出向き、 その地において修行をつけなくてはならないのである。

 サガが、『聖域を離れるつもりか』と問うたのには、このような事情があったのだ。

「・・・なるほど、まずまずの答えか・・・」

 意味ありげな含み笑いにも似た言葉を漏らし、教皇は仮面の中の視線をサガに向けた。

「結論から言ってしまおう。私はムウを弟子にし、修復師としての技術を習得させるために ジャミールに行く」

 サガはその言葉に、表情一つ変えなかった。

「だが、決して聖域から離れるというわけではない。修行は必ずしも付きっきりである必要はないし、 瞑想を用いれば聖域にいながらにして、ジャミールのムウの様子を見ることも指導することも 可能だろう。実を言うと、もう数ヶ月ほどそのようにして修行を続けていたのだよ」

 さすがにこの一言は、驚きだった。
 サガの瞳のわずかな動きが彼の心中を映し出していた。

「まだ、女神が誕生していないこの平和な時代、外敵の侵略の可能性など皆無に等しいであろうが、 さすがに教皇自らが聖域の外に弟子をとり、その指導のために時間を割いていることが外部に 知られてはならない」

 サガは、ゆっくりと頷いた。

「そこで・・・私の補佐を、サガ・・・お前に頼みたいのだ」

 予想だにしなかった教皇の言葉に、サガは言葉を失った。

「無論、後にアイオロスにもこの件は伝えておかねばなるまい。だがその前に、黄金聖闘士でもある アイオロスにも気付かれずに聖域とジャミールとを実際に 行き来できるか否かを試してみたいのだ」

 サガは返答に窮していた。
 いや・・・正確には、答えなど最初から決まっていることである。 教皇の命には従わなくてはならない。
 ただ、それに対して、どのように答えたらよいのかを戸惑っていたのであった。

「過去に修復師と教皇職を兼任した者もいなかったわけでもない。だがその時の修復師は、 教皇となる前に次代の修復師に技術を伝えていたと文献に記されている。今回のような ケースは極めて稀なことであろう。だからこそ・・・」

 教皇は言葉を区切る。

「だからこそ、サガ・・・お前にその補佐をしてもらいたいのだ」

 まるで、『命』というよりは『頭を下げて頼み込む』という感にもとれるような教皇の口調に、 サガは驚愕した。

(教皇は、私を信頼している ――――― )

 黄金聖闘士として、絶大な信頼を勝ち得ている。


 だからこそ、このように重大な任務を自らに下されたのだ ―――――


 サガにとって『教皇の命』という理由の他に、それを断る理由など全くありえなかった。

 恐らくは ―――――
 教皇が、全ての事情を真っ先にサガに話してしまわなかったのには理由があったと推測される。
 それが『まずまずの答え』と漏らした言葉の真意であるのだろう。

 教皇は、サガを試していたのではあるまいか。
 突然何の前触れもなく、教皇が聖域を離れるなどと前代未聞なことを言い出すという不測の事態に 対して、どのように反応し、どう答えるか ―――――

 そう考えるのが自然であろう。

「わかりました。次代の修復師を育てることは、全ての聖闘士にとって・・・いえ、この世界に とっても重大なこと。喜んでそのお手伝いをさせていただきます。・・・ただ・・・」
「他に、何か?」

 深々と一礼したはずのサガが最後に付け足した言葉に、教皇は問いを返した。

「一体、どのような方法をもって聖域と・・・いえ、この教皇の間とジャミールとを行き来する おつもりなのでしょう。古の時代よりの女神の結界がある以上、例え教皇と言えど、 テレポーテーションを使うことはできないのではと・・・」

 サガの言葉は正しかった。
 ある程度の超能力を持ち合わせた黄金聖闘士であるならば、通常の空間内であればいとも容易く 瞬間移動ができるため、ここギリシャとジャミールとの往復だけを考えるならば、 何の問題もないことである。
 だが、聖域には女神の結界がしかれていた。
 聖域は他からは自由に出入りすることのできない空間なのである。
 それだけではない。聖域内部のこの十二宮に至っては、外部からの出入りだけではなく、 各々の宮自体がそれぞれ別の空間として結界を張っているため、宮を飛び越えることはもちろん、 例え宮の入り口付近から内部へのほんの一歩の距離であっても、その空間を越えることは不可能と 言われていた。

「まさか、岩山を越えて行き来するおつもりではないでしょう?」

 実のところ、教皇の間へ辿り着くための手段には、十二宮を順に通過する以外にも たった一つだけ方法が残されていた。
 それはサガの言葉の通り、聖域を取り囲む岩山を超えることである。

 岩山は外部からの侵入を防ぐ約割を担っているだけのことはあり、屈強な聖闘士であったとしても そう簡単に挑むことができるような『通路』であるはずもない。
 むろん、その岩山にも女神の結界がしかれているため、ほんのわずかな小宇宙の放出を 行っただけでも、聖域内部の者達に結界の歪みが感じ取られてしまう。
 そのため、外敵の出入りはもちろん、聖域からの脱走もほぼ不可能なことに近いのだ。
 当然黄金聖闘士でもある教皇シオンの実力から考えて、そう安々と結界に歪みを引き起こさせる ような初歩的なミスは犯すはずもないであろうが、小宇宙の放出を完全に抑えた状態で、 あの険しい岩山を超えるためには、何日もの時間を要するはずである。

「この仮面が・・・何のためのものかは、知っているか?」

 教皇は、またも問いを返した。

「一聖闘士とは、別の顔で女神を守るため・・・と、聞いております」

 代々、教皇職に就くのは黄金聖闘士の中の一人。
 例外も時にはあったようではあるが、兼任するのが通例であった。
 そのため、黄金聖闘士としての顔と、教皇としての顔とを別のものにするために、仮面を 付ける慣わしが生まれたと言われており、実質大きな意味があるものではない。
 また、それとは別に、女神が不在である長い期間を支える聖域の象徴的存在でもある教皇の 交代を、形式上だけでもあからさまにしないため・・・という説もある。

「つまり、教皇である私の素顔は、誰も見たことがないのだ」

 言われてみるとその通りである。
 教皇が仮面を取ってしまえば、一黄金聖闘士。
 しかも、この平和な時代、長年教皇職にのみ従事していた彼は、決して黄金聖闘士としての素顔を 晒すようなことはなく、その素顔を知る者は、前聖戦からの生き残りでもあるライブラの聖闘士を 除けば皆無といえるのである。

「現に、歴史の中・・・様々な事情で、この方法を用いて他の役職との二役を演じていた教皇も いなかったわけでもない」

 全ての疑問が解けた。
 サガは改めて、教皇の『命』を受けることを彼に伝えた。

「それにしても・・・教皇と黄金聖闘士、そして修復師・・・と、様々な役職をかけもちしている だけでも大変なことであるのに、その上指導者となるとは・・・ お体に負担はないのでしょうか?」

 件の仮面に隠れて彼の素顔を垣間見ることはできないが、前聖戦から250年近くも経過した今、 当時の生き残りでもある彼の体は、通常であるならば、 人間としての限界を超えているはずなのである。

「確かに・・・前聖戦から今まで、アリエスの星を宿した幼子を何人か見つけたことはあったが、 全て聖闘士としての器の持ち主ではなかった。私としても、早くそちらの方の後継者も 育てておきたいのが本心なのだが・・・」

 なんとなく言葉を濁したかのような教皇の言葉。
 それから想像するに、公にはできないまでも、現段階でアリエスの星の輝きを持った聖闘士 候補生はすでに見つかっているのではないか。
 ――――― サガはそう直感した。

「基本的に、教皇の交代は女神の降臨を見届けてから行われるのが一般的だ。恐らくその日も近い だろう。・・・私の仕事もそれまでのことだ。心配はない」

 わざわざ言葉にせずとも、サガにとってもわかりきったことではあったが・・・

(次代の教皇は・・・果たして誰になるのであろうか ――――― )

 不意に、そのような考えが脳裏に浮かんだ。

 噂では、昔・・・自分達が聖域に来る以前には、ジェミニの カルディスが次代の教皇になるのでは・・・という憶測も飛び交っていたらしい。
 特別その憶測に他意があったわけではなく、単に、彼の実力や経験を 考慮してのものだったのであろう。
 だが、彼は黄金の称号を自らの意思で手放し、次代へと引き継ぐことを決めた。
 この時点で、次の教皇候補はアクエリアスのレイファただ一人となった。
 その後、サガやアイオロス、そしてシュラ・デスマスク・アフロディーテらの新しい 黄金聖闘士達が誕生したものの、何事もなければの話ではあるが、やはり実力・経験から考えても レイファが教皇職を引き継ぐのは当然のことであっただろう。

 しかし、もはや ――――― レイファはいない。

 この時サガは初めて、自分かアイオロスのどちらかが、いずれ教皇に選任されるのでは ないのだろうか・・・という可能性に気がついたのである。

 恐らくは・・・もし、レイファが生きていたのならば、今回の教皇の命は、まずレイファに 与えられていたのではあるまいか。
 教皇の補佐という、大事な役回りである。当然の話であろう。

(私は、教皇に認められている ――――― )

 例えレイファの代役とは言えど、教皇が、自らの補佐役を彼に命じたことは事実。

(そのような大事な任を、アイオロスではなく自分に与えてくださった ――――― )

 別段、アイオロスに対してライバル意識を感じたことなどもなかったが、つい先刻まで、 レイファの残した最期の言葉が脳裏から離れることのなかったサガにとって、 この出来事は、今までの自らの悩みの全てを滑稽な戯言に変えてしまうだけの決定的な 出来事に違いなかった。

「・・・私としたことが、差し出がましいことを申しました」

 ほんの一瞬の思考の寄り道を悟られるようなこともなく、サガはそう言葉を続けた。

「教皇補佐の任・・・この私、ジェミニのサガが責任を持ってお受けいたします」





『SAGA』 第一章 第十三話に続く・・・

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あとがき・・・


 あらら・・・思ったより長くなってしまいました。
 会話と解説ばかりがダラダラ続いて、読んでくださる方にとっては面白味に欠ける 展開だったかもしれませんね。
 予定では、別のエピソードもチラチラと入ってくる予定だったのですが・・・
 まあ、これにつきましては、別の機会に回すことに致しましょう。

 前回は、ムウが出てきたところで話が終わっていたので、今回は登場しまくりなのでは・・・ と、想像していらした方も多かったのではないかとも思います。すみませぬ〜(汗)
 ちゃんと、そのうちに出まくりますので御了承くださいませ〜☆





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