『昔のオンナ』





 目前の女性は、彼との昔話を『今の女』と誤解した自分に対して自慢したいわけでも、嘘偽りを並べ立てることで 混乱させようとしているわけでもない。
 根拠はなかったが、それについては確信を持てた。
 それは感情論とは全く別の次元の問題。
 むしろ、彼女の話を、そのまま『聞き続けなくてはならない』ようにすら感じているのも事実。

「・・・その後もまた、今までと同じような毎日が続いて・・・」

 アルルの思惑を知ってか知らずか、リンは更に話を続ける。

「時には、またその時みたいに勝手に仕事について行って叱られることもあったし、 時にはシェゾの方から連れて行ってくれることもあった・・・」

 そういう関係は、アルル自身にも経験はあった。
 力量不足と判断されてダンジョンから追い返されたこともあったし、逆に彼の手の届く範囲に置くことで身を守ってくれたことも 決して少なくない。

 彼女の話と自分とを比較しないようにと意識はしていても、そう思うように心の中を制御できるはずもない。

 そんな複雑な心中を気取られないよう気を配りつつ、アルルは話の先を促した。

「そして ――――― 更にしばらく経ってから、シェゾはこの街を出て行った」
「・・・・・・」
「宿に私を置いたまま・・・そのまま帰ってこなかった ――――― 」

 口調は悲しげなものではあったが、その表情はそれほど変わらない。

「どうして?」

 今の彼が、彼女と共にいないことを考えると、当然『別離』の瞬間は存在しているはずであろうことはわかりきっていたが、 思わずそう問うてしまう。

「そうね・・・過酷な仕事を請け負ったから・・・とも、シェゾの正体が『闇の魔導師』だ・・・ってことが、世間に広まったからとも いろいろ言われていたけれど、私も良くはわからないわ」

 まるで人事のように軽く返す。

「ま、あのシェゾのことだから、出かけた先で深刻な事態になって戻って来れなくなった・・・ なんてことは考えなかったけど」

 言いながら笑う彼女に釣られて、アルルも笑ってみせる。

 それについては、まさしく同意。
 彼が、何も告げずにどこかに行ってしまうことも、一人で全てを背負い込んでしまうことも、そして・・・そうして、たった一人で 平気な顔して何事をも乗り越えてしまうことも。

「ま、シェゾって、相当運が悪い方だから、何かにハマって戻って来れなかった・・・って説も、考えたことは 考えたけどね」


 その後リンは、更に幾つかの彼の昔話を話して聞かせた。
 そして、今の彼についてを知りたがったリンのために、今度はアルルの方が同じように話して聞かせた。

 決して長い時間を過ごしたわけではなかったが、互いが打ち解けるのにそれ程の時間を要することはなかった。

 やがて ――――― 陽が傾き始め、庭を囲む塀の影が、彼女達の足元まで伸びてくる。

「あら、もうこんな時間なの・・・? 『時』って、ホントに経つのが早いものね」

 話に区切りをつける切欠作りには使われがちな常套句ではあるが、彼女の自然な表情からして本当にそう感じたのだろう。

「うん。ホントだね〜。あ、そうだ! ボク達は宿の近くのお店で晩御飯を食べる予定になっているんだけど、 リンも一緒に来ない?」

 外に出たがらない彼としては、人目につかないよう宿の中で食事を取りたかったらしいのだが、 生憎、偶然とった宿は夕食付きではなかったのだ。
 だが、それなら突然同伴者が一人増えたとしても何の問題もあるまい。
 寧ろ好都合だ。

「遠慮しとくわ。・・・っていうか、実はね ――――― もう時間がないのよ」

 言いながら席を立つ。

「え? もしかして、急ぎの用事とかあったの? 気が付かなくってゴメン・・・」

 つい長話をしてしまったのには、アルルにも半分だけ責任はある。

「でも・・・宿、すぐそこだからさ、ちょっと顔出していってよ。シェゾ、きっと喜ぶよ!」

 とは言ったものの、彼が満面の笑みで喜ぶ姿など想像もできなかったし、正直なところ、したくもなかったのだが・・・

「それとも・・・明日の方がいいかなぁ。さっきも言ったけど、明日の朝に届け物が済めば、ボク達の仕事は 終わるからさ、その後にでも・・・」

 リンの返答も待たずに、アルルはそう提案を続ける。

「ゴメンね。時間・・・本当にないの」

 大袈裟なくらいに首を振り、彼女はそう答える。

「・・・え? だって、シェゾには会わなくていいの?」

 『会わせたい』というのが本音ではなかったが、『会わせない』選択肢を選べるほど意地悪はしたくない。

「すぐ近くの宿にいるんだから、ちょっとだけでも会って行こうよ。それとも、呼んでこようか?」

 今度は何も答えずに、首だけ横に振る。

「だって、だって・・・パートナーなんでしょ? 久しぶりなんでしょ? シェゾに会いたかったんでしょ?」

 それなら何故、貴重な時間を彼との再会のために使わずに、アルルとの会話などに費やしてしまったのか。

「会いたかった・・・ってのは、そうなのかもしれないわ」

 ややして、リンはそう答える。

「人混みの中に、シェゾの銀色の髪を見つけた時・・・本当に驚いた」

 人目を避けるために頭から被っていたはずのフードなど、彼女にとっては、ないに等しいものだったのだろう。
 もしかすると、彼が戻ってくる日をひたすらに待ち続けていたのかもしれない。

「なら、すぐに声をかけてくれれば良かったのに!」

 堂々と名を呼ぶわけにはいかないのならば、先刻彼女がそうしたように遠まわしにでも呼び止めれば良かったのだ。

「いいの。シェゾの姿を見ることができて、シェゾが元気にしていることがわかったんだから、 それだけで・・・私には充分!」

 本当に満足気な表情で、リンはそう言い切る。
 過ごした時間に対してなのか、それとも目前のアルルに対してなのか、更にもう一度微笑みを見せると、まるでそれを 別れの挨拶とでもするかのように、ゆっくりと歩き始める。

「充分なわけないよ! リンがそれで良くっても、それじゃあボクが良くない!」

 慌てて彼女を追いかけて、その目前に回りこむ。

「優しいのね・・・アルルって」
「別に、優しいとか、そういうんじゃなくって・・・」

 思わず返答に窮してしまう。
 『会わずに去る』と宣言している彼女を無理矢理彼に会わせようとすることに、一体何の意味があるのだろう。

「 ――――― 」

 思考が彷徨ったのは、ほんの一瞬。
 丁度その時、傾いた西日が何かに反射したのだろうか。
 突然の眩しさに、思わず顔を顰めるかのように目を逸らせてしまった。
 それも、僅かに一瞬の出来事 ―――――

「 ――――― またいつか、会いましょうね」

 直接脳裏に響き渡るかのようなその声に、アルルは慌てて目前に存在するはずの声の主を探す。

「リン・・・?」

   振り向くと、そこには古びた廃屋があった。
 そして崩れた石塀に囲まれた、人の手がかからなくなってかなりの年月が経過したかと思われる小さな庭。

 つい先刻まで、確かに庭の中にいたはずなのに、何故だか庭の外側の薄暗い中通の真ん中に立ち尽くしているのである。
 彼女の姿はもちろん、先刻まで隣の席でお茶を飲んでいたはずの老夫婦の姿も、手馴れた働き者のウエイトレスの姿も、 誰も、何も存在していない。

「・・・え?」

 見間違いかと、思わず両手で目を擦る。

「・・・うそ。だって、今・・・確かに ――――― 」

 思わず触れたその石塀に、変色して光沢も失った金属のプレートがかけられているのが目に入った。
 無意識に歩み寄り、プレートに刻まれている擦れた文字を指でなぞる。

「 ――――― 『想い出の庭』・・・」

 一部欠けていたため、読めない部分があったものの、恐らくそういう綴りが為されていたのだろう。
 落ちついた、それでいて自然な和やかさを感じさせるカフェに相応しい名前 ―――――

「なに、今の・・・? ボク、夢でも見ていたの・・・?」

 思わず頬を抓ってみたい感覚に襲われたが、そういう仕草があまりにも子供染みたそれのような気がして 躊躇してしまう。


 今まで時を過ごしたこの店も庭も。
 共に語り合ったはずの『彼女』の存在も、全て幻だったとでもいうのだろうか ―――――


「・・・なんだ、こんなところにいたのか」

 不意に声がかかる。

「 ――――― シェゾ?」

 そこには、普段通り無表情のままの彼がいた。
 先刻まで身に付けていたはずのフード付きのマントは身に付けていなかった。
 僅かに薄暗くなってきたこの時間、この場所が人通りの全くない路地であることから考えても、 恐らくそれは必要ないのであろうが・・・

「シェゾ。今、今ね・・・」

 そう言いかけてはみたものの、何をどう説明して良いのかがわからない。
 それ以前に、今の不思議な出来事を彼に話すべきなのか否か自体が躊躇われてしまう。

「誰も買い手がいなかったんだろうな・・・随分、朽ち果ててしまった」

 アルルの言葉には特に気を留めず、懐かしそうな表情とは程遠い視線で、 彼は彼女がそうしたように文字の欠けたプレートに触れる。

「知ってるの・・・? ここ・・・」
「ああ。何度か茶を飲みに来たことがある」

 『何度か』というよりはもっと日常的なものだったのではあるまいか。

「もう、だいぶ長く放っておかれているみたいだけど・・・」
「だろうな。100年・・・いや、150年は経っているだろう」

 事も無げに彼は答えた。

「え? だってキミがここにいたのって、確か5年前じゃ・・・」
「5年前に俺がいたのは、この街ではなく近くの街だと言ったはずだ。ここにいたのは・・・更に昔、まだこの店が流行っていた 頃のことだ」

 つまり、それは100年以上も前の話 ―――――

「本当は・・・来るつもりはなかったんだが・・・」

 言いながら彼は、石塀沿いに歩を進めると、傾いた門扉の前で足を止める。

「来るな・・・と言いたいところだが、恐らく無駄だろうな」

 今にも外れてしまいそうなその扉を強引に開け、溜息混じりにそう呟く。

「・・・来るか?」
「うん」

 彼の申し出に、ただそれだけを答える。

「・・・・・・」

 足を踏み入れた庭には、崩れ落ちた煉瓦の破片と伸び放題の雑草しか存在しなかった。
 先刻見たばかりの、落ち着いた雰囲気のガーデンカフェの面影すらない。

「この裏手に、昔逗留していた宿があってな。今は他人の手に渡っているようだが・・・とはいえ、当時の親父も女将も、 その息子も、とうにこの世にはいないだろうから当然のことだな・・・」

 彼がそう語る。

「もしかして・・・このお店で、リンと一緒にミルクティーとか飲んだり・・・した?」

 後先考えずに発してしまった問いに、一瞬彼は目を丸くする。

「 ――――― 会ったのか?」
「うん・・・さっき、ここで・・・」
「そうか ――――― 」

 ただそれだけ答えて、彼は更に歩き出す。

「最初から、ある程度のレベルの魔力は持っている・・・とは思っていたんだがな」

 彼は続ける。

「まさか、そこまで成長するとは思ってもみなかった・・・」
「ねえ・・・リンって、その・・・」

 つい、問いを発しかけて、そのまま口篭ってしまう。

「ああ・・・とうに死んでいる。俺がこの街を出て2年か3年後のことだ」

 語尾が僅かに震えたような気がしたのは気のせいか。

「宿の親父の口利きもあって、この店で世話してくれるということになったから・・・俺も安心して街を離れた。 そのまま5年経ち、10年経ち・・・それ以降この街に立ち寄ることはなかったが、まあ・・・それなりに幸せに暮らして、 それなりに寿命を全うしていったのだと信じていた」
「 ――――― 信じて、いた?」

 思わずそう問うてしまう。

「さっき言った通りだ。俺が街を出て・・・少ししてから死んだ。いや、殺された」
「 ――――― !!」
「どこからともなく、闇の魔導師の使い魔だという噂がたってな。この店ごと火を放たれたらしい」
「う・・・そ、ヒドイ・・・」

 声を詰まらせながらも辛うじてそう答える。

「そういうものだ・・・と言ってしまえば元も子もないがな。少し離れた近隣の街でさえ100年以上経った今でも、 街の自警団の武勇伝として語り継がれている ――――― 」

 昔いた街に戻ると『聞きたくない話』を聞くことがある ――――― 彼はそう言った。

 恐らく、これはそういう意味だったのだろう。

「俺なんかに出会わなければ、こんな目に遭わずに済んだだろうにな・・・」
「でも、でも・・・リンは、シェゾに会わなかったら、多分そのまま死んでたよ。 キミに助けてもらったことにすごく感謝していたよ!」
「感謝される覚えはない。魔力を奪うつもりだったんだからな」
「でも・・・キミは奪わなかったんでしょ? そしてその後も、もう一度命を助けている・・・」
「ただの気まぐれだ・・・意味はない」
「うん。そうかもしれない・・・でも、でも、それはリンにとっては何も関係ないことなんだと思う。リンにとっては キミに助けられて、キミと一緒に過ごした・・・それが、全てだったんだと・・・思・・・う」

 思わず涙がこみ上げてくる。

「何故お前が泣く?」
「そんなの、わか・・・んないよ。でも、ボクは・・・」

 涙が止めどなく溢れてくる。

 理由などない。
 ただ涙が溢れるだけ。ただ泣きたいだけ ―――――


「最初は・・・月並みに、鈴を買ってやったんだがな・・・」

 ややして、彼が言った。

「後を付いてくる度に音が鳴って仕事にならなかったから、偶々露店で見つけた似たような形の音の出ない飾りに換えた。 その内にまた付け替えてやろうかと思っていたんだが、結局・・・それも出来ず仕舞いでな」

 言いながら、彼は懐から小さな包みを取り出した。

「前の鈴は音が鳴らなくなってしまったから・・・これで勘弁してくれ」

 恐らくは、これも市場の露店で買ってきたものなのだろう。
 簡素なアクセサリーに付けられているそれを器用に外す。

「・・・まあ、自己満足だと思ってくれて構わない」

 途中から、会話の相手はアルルではなく、リンへと替わっていたのであろう。
 そのまま彼は、雑草に囲まれ、お世辞にも立派とはいえない低くやせ細った木の枝にそれを括り付けた。

「 ――――― 」

 そして、そのまま目を伏せたまま動きを止める。

 その姿は、手こそ組んではいなかったものの、まるで神に祈るような、死者の魂を弔うような・・・何か神聖な儀式を 為している様な姿に見えて、彼女は思わず目を疑う。

「・・・・・・」

 思わず、アルルも彼の元に駆け寄り ――――― こちらは、しっかりと手を組んで祈りを捧げた。

「・・・何をやっている?」
「お祈り。シェゾと一緒」
「はっ、俺が祈るなんてありえねーだろうが」
「うーん・・・じゃ、そういうことにしておいてもいいけど・・・」

 まるで、先刻のリンがそうしたように言葉を返してみる。

「好きにしろ」

 彼女の意図を知ってか知らずか、そう言い捨てると彼はそのまま踵を返す。

「・・・あ、あのね、シェゾ! リンは・・・」

 相変わらず、何をどう伝えたら良いのかはわからない。
 ただ、直に彼女と触れ合った者として、彼に伝えなくてはならないことは山ほどあるように思われた。

「リンはね・・・」

 まるで夢の中での出来事だった先刻の会話。
 今すぐに彼に伝えなくては、その記憶自体が幻となって消えてしまいそうな錯覚にとらわれて、思考がまとまるより先に とりあえず口を開く。

「・・・・・・」

 既に歩き始めていたはずの彼がその場で足を止めた。
 話に耳を傾けるために歩を止めたのだろうと思い、アルルが再度言葉をつなげようとしたその時のことである。

「 ――――― 忘れろ」

 振り向きもせず、彼は ――――― ただ一言、そう言い放つ。

「 ――――― 」

 『忘れろ』と言われたからといって、当然その通りにできるはずもなかったが、それが彼の意思であるのなら、 尊重すべきなのではないかとアルルは思った。

「・・・ごはん、どうするの?」

 小走りに彼を追いながら、何事もなかったかのようにそう声をかける。

「ああ、面倒くせぇから近場で済ましちまえばいいだろ」

 同じく何事もなかったかのように返ってくる。

「もしかしてさぁ、またさっきのマントを付けていくわけ? あれ・・・妖しいからやめた方がいいよ」
「別に、お前には関係ないだろうが」
「関係あるよ。一緒にいたら、ボクまでヘンタイだと思われちゃう」
「な、何をっ! 大体何でマントつけてるだけでヘンタイ扱いされなきゃならねーんだ!」
「だってさー、キミってば・・・」

 フェードアウトしていく会話と、立ち去る二人を見送るように ―――――



 風などなかったはずなのに、庭の木に括り付けられたばかりの鈴が小さく揺れる。



 そして、たった一度だけ ―――――



――――― チリン、と鳴った。






― 終 ―






中編を読み直す・・・





あとがき・・・


 あじ的には・・・『シェゾに昔、女がいたっていいんじゃない?』と思って書き出したのですが・・・ 『女はいてもいい』けれど『心は許していなかっただろう』な・・・と、いう思いもありまして・・・

 『リン』についての描写には、かなり気を配ったつもりです。
 回想シーンの中に、彼女の台詞、ないしね。
 アルルは、最終的に『リンの正体』について気が付いたのかな・・・(謎だ)

 ・・・っていうか、あえて文中で明言はしていませんが、わかりますよね・・・?
 『彼女』の正体・・・(急に不安になってきた・汗)

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