『倭国封神』 第一幕






第五話 『閉ざされた扉』



 小柄な妖怪仙人が頭を垂れる。
 柏鑑は来客中だと告げて、すぐに事務作業へと戻っていった。

 見覚えのない顔であるから恐らくは新人なのであろうが、完全な人型とまでは行かずとも、 かなりそれに近い形の半妖態を保っていることから考えて、 そこそこの実力は持ち合わせているのであろう。

(人型にはなれるのだろうか・・・)

 何事もなかったかのように再び机上の書類に目を通す彼女を見て、 白鶴は不意にそう思った。

 生まれつきの妖怪でもない限り、妖怪仙人達にとって最も安定した形態が半妖態の状態である。
 大いに個人差はあるものの見た目もそれなりに美しく、完全な人型の形態を保つよりも遥かに 強く逞しく優れた能力をひいだすことができる。

 それでも、特に若い妖怪仙人達にとって完全な『人型』は憧れなのであろう。

 人間界において、それと知られずに生きていくためには必要不可欠な能力ではあるが、 今のこの蓬莱島で暮らす上では特別必要なものではない。
 現に、まだ人間界に2つの仙人界が存在したころ、金鰲島内部に住まう多くの妖怪仙人達は、 修行の課程として人型形態をとることはあるものの、 普段からそれを保つようなことは滅多にない。
 その顕著な例が十天君で、他の妖怪仙人達よりはるかに優れた能力を持ちあせせているの にもかかわらず、彼らの時間の多くを自らの意思で半妖態として過ごしていたようだった。

 その時代と比べるのもどうかとも思うが、蓬莱島の妖怪仙人達の多くが、人型に固執するのは、 現時点での最も実力ある妖怪仙人である一握りの者達の全てが普段から人型形態を取り続けている 妖怪仙人だからなのであろう。
 今や教主の立場である楊ゼンやその右腕の張奎、胡喜媚・王貴人、雲霄三姉妹の実力は 全ての妖怪仙人達の憧れの対象なのである。

 それを理解しつつも、あえて白鶴は自らの本来の姿を貫き続けていた。

 人型形態を保つ修行は既に終え、 日常生活をその姿で過ごすことに何の苦労もないはずである。

 だが、彼は自らの本来の姿が好きであった。
 そのほとんどの住人が人間出身である仙道達である崑崙山で、教主であり師である元始天尊や 多くの者達は、妖怪である自分を至極当たり前に受け入れてくれた。
 無論、いわれのない差別を受けるようなことがなかったわけでもないが、 年月を経、彼が元始天尊や崑崙にとって重要な役割を担うようになるにつれ、 そのような差別は次第に見られなくなっていった。

 そして何より、この翼のある姿を『大好きだ』と言ってくれた兄弟弟子の言葉が 彼の宝物でもあったのだ。

「緊急事態です。失礼しますよ」

 思考を巡らすようなこともせず、言うなり彼は白い翼を広げて飛び上がる。

 柏鑑の管理する神界門の施設は非常に広く、奥まで長い廊下が続いている。
 普段は室内を飛び回るような無粋な真似はすることもなかったが、自らの言葉の通り今は緊急事態 なのである。
 いくら幅も高さも充分な廊下であるとはいえ飛行には些か不自由であるが、歩いての移動よりは 格段に早いはずである。

「・・・・・・」

 返事も待たずに飛び去った白鶴を暫し見送った後、最初に彼の応対を勤めた半妖態の妖怪仙人は 慌てて壁に据え付けてあった受話器を取った。



「何事ですか・・・白鶴童子」

 彼が扉を開くなり、そう声がかけられた。

「受付の者が困惑していましたよ・・・」

 おっとりとした口調の妖怪仙人がそこに待っていた。
 ――――― 柏鑑である。

 人型とは少しかけ離れたような半妖態を保つ彼であったが、この姿の方が仕事がやりやすいのだと 以前に語っていたことがあった。
 白鶴よりも、ずっと年上の仙人ではあるはずだが、 人型に変化できるようになったのは比較的最近のことなのだという。
 『元がカメの妖怪であるのだから、進歩も他人より遅くたって構わない』
 そんなことを彼自身が言っていたこともあったが、この言葉も元々、元始天尊からの ものだったと聞いている。

「連絡が届いているのなら、聞いているのでは? 私は『緊急事態だ』と伝えた はずですから」

 特別早口にまくしたてているつもりはないが、柏鑑との会話では自然とそう感じてしまう。

「もちろん聞いていますが・・・緊急事態なら、電話でも済むでしょう? 地下層を 空にしてくる意味があるのですか?」

 柏鑑の言葉からもわかる通り、白鶴は蓬莱島の地下を取り仕切っていた。

 蓬莱島地下には、島の全機能を統括するコンピューターが存在し、一般の仙道の出入りは 厳しく制限されている。
 白鶴が管理していたのは今現在機能している新しいコンピューター施設の方で、以前は 妲己が使っていたものを作り変えたものである。
 同じく地下には、ジョカが使っていたと思われる未だその大部分の解析が進んでいない 別のコンピューターがあるのだが、万一に備えその全ての機能を切り離した上で、 黒鶴が管理しているのである。
 誰が名付けたわけでもないのだが、白鶴の管理する地下層を白層。黒鶴の管理する方を 黒層と呼ぶのが慣習ともなっていた。

 当然、どちらのコンピュータールームもこの神界門も、蓬莱島の重要施設であるので、 直通の通信設備も整っているわけであり、柏鑑の言うことは至極もっともな話である。

「その電話が通じなかったからこうして出向いてきたんです。直接飛んできた方が 間違いなく早いですからね」
「電話が通じない・・・って? 今、受付からの連絡はちゃんと受けることができたから、 故障・・・ってことはないはずですが?」
「そんなことはどうでもいいんです。とにかく、神界門内部で・・・いえ、正確には 門の向こう側の神界か人間界で断続的に異常な熱源を探知しました。こちらでは 何もモニターしていないのですか?」
「そんな馬鹿な・・・今、数名の道士が人間界に出向いているので、モニターは通常以上に 厳重体制で行っています。そのような異常事態が起きれば当然こちらで感知できますし、 向こうからの連絡もあるはずです」

 柏鑑の言う事ももっともである。

「かといって・・・放置しておくこともできませんからね・・・すぐに調査させましょう」

 多少、緊張感に欠けるところがあるものの、柏鑑の仕事の正確さは群を抜いている。
 彼に任せておけば、特に心配はないはずであるが、このような緊急事態が起きること自体が かなり稀なことである。

「手伝いましょう。白層の方は任せてきてあります」

 そう言って、白鶴は先に立って歩き出した。



「連絡が取れないって、どういうことですか!」

 言葉こそ丁寧なものであったが、柏鑑の苛立ちは手に取るようにわかった。

 神界門内部のコンピューターは全く何の異常も感知していないし、何の故障も見られない。
 しかし、実際問題、施設外部への通信手段が全て絶たれ、独立した別の回線を使っている 人間界へと出向いた者達との通信までもが不通となってしまっているのである。

「どうやら、この施設自体が何らかの異常な状態に陥っているのかもしれない」

 多くの仙道達が調査を進めている中、不意に聞きなれた声がかけられた。

「太乙真人様・・・いらっしゃっていたのですか?」

 振り向きざまに白鶴は答える。

「セン玉君に預けてある新型レーダーの受信機の仮設定をするつもりだったんだけどね・・・ それどころではないようだ。とりあえず・・・データを見せてよ」

 そう言いながら、近くのモニター前に腰を下ろす。
 次第に彼の顔が厳しいものとなっていくのが、周囲の者の不安を掻き立てた。

「この施設のコンピューターは全て使い物にならないみたいだ」
「・・・それはどういう・・・」
「原因は全くもって不明だけど、この施設そのものが何らかの異常空間に包まれていると 仮定したとして・・・完全にその空間に包まれることでその異常状態が『当たり前のこと』と コンピューターが誤認識してしまっているってとこかな」

 太乙真人は、例えとして、空気中では1リットルの水の重さを感じとることは自然な ことであるが、水中に潜った時にはその何10倍もの水が体の上にのしかかっているはず なのに、その重さを感じ取ることはできない・・・という話をしてみせた。

「私の端末コンピューターを使おう。これは崑崙のどのコンピューターともリンクさせていないから、 正確な値を弾き出せるはずさ。セン玉君のレーダーに収集した情報があれば作業は もっとスムーズなんだろうけど・・・」

 肝心のセン玉と連絡が取れず、レーダーの受信機の設置がなされていない今、頼りは 彼のみである。
 神界門内の設備が利用できないこともあり、白鶴や柏鑑をはじめ、多くの仙道達の視線が 彼へと集まる。

「あ、セン玉君? 今、どこにいるの?」

(・・・早っ)

 『緊急事態』であるはずなのに、一瞬その場の全員の力が抜ける。

「・・・あ、やっとつながったわっ! さっきからずっと連絡していたのに 誰も応答しないんだから・・・」

 普段の通信から比べると、かなり音質は劣るが会話に支障はない程度である。

「アタシはワープゾーンのすぐ近くにいるわ。一体何があったのよ?」
「そっちのレーダーは何らかの異常値を示していないかい? 神界門のコンピューターにエラーが 出て、正確なところはわからないんだけど、白層のメインコンピューターが熱源を感知した らしいんだ」

 キーボードを叩きながら、太乙真人は問いかける。

「え? そんな気配はないけど・・・異常といえば、仙道の存在に反応したはずの地点に 行ってみたんだけど、何もなかったわよ。新しいレーダーって、ホントに大丈夫なの?」
「ああ、今回の人間界行きは天然道士や妖怪の調査だったね・・・でも、それについては 前のレーダーと同じ仕様にしてあるから問題はないはずだよ。古いレーダーと数値を見比べて みてくれる?」
「新しいレーダーは天祥が持ってっちゃってんのよねー。一応近くを見てくる・・・って 言うもんだから・・・今までのレーダーの数値なら転送できるるわよ」

 どうもこの2人だと会話に緊張感がない。

「あ。届いたよ。データ転送には異常ないみたいだね・・・念のため、外界塔の調査メンバーを ワープゾーン周辺に呼び戻しておいてくれるかい?」
「オッケー。何かさっきから時々変な寒気を感じるから、早く帰りたかったのよねー」

 セン玉は一旦通信を切った。
 太乙真人の方も通信機から端末を切り離し、送られてきたデータの解析に入る。

「・・・まずいな」

 ややして、彼はそう呟くなり、再び人間界への通信機に手を伸ばした。

「セン玉君!! すぐにワープゾーンを開く! 大至急こっちに戻るんだ!」
「あ・・・アタシだって、戻りたいわよっ!!」

 先刻までの呑気な会話が嘘のような悲鳴にも似た声であった。

「一体何があったんです!?」

 我慢しきれずに白鶴も叫ぶ。

「わかんない・・・わかんないわよっ! でも、寒気・・・っていうか、まるで殺気とか妖気の ような立っているのも辛いくらいの衝撃波みたいのが何度も何度も襲ってくるのよ! だんだん 大きく・・・間隔も短くなっているみたい!!」
「レーダーに頼らないで、キミの感覚で正確に答えてくれ。その衝撃波の襲ってくる間隔は どのくらい離れている?」
「・・・多分・・・30秒ごとくらい・・・? でも、どんどん早くなっているのよっ!」

 彼のキーを叩く手が止まった。

「ワープゾーンの開門は外部端末からでもできるのかい?」

 振り向きもせず、柏鑑に問いかける。

「大丈夫だと思います」
「なら、私に任せてくれ」

 柏鑑が頷いた。

「セン玉君。詳しい解析はできないが、その衝撃波は危険なものかもしれない。間隔が20秒以内に なったら、ワープゾーンを開く。調査メンバーはまだ戻らないのか!」
「それが電波が途切れがちで天祥と連絡が取れないのよ」
「・・・!?」

 さすがに彼の顔色が変わる。

「でも、異常を察知して他の皆は戻って来ているから・・・多分、今・・・戻っている 途中だと思うわ」

 しかし天祥は飛翔用等の移動の宝貝を持っていないのである。
 ワープゾーンの出入り口は今回の調査地点とそれほど距離的に離れていないところに 開けていると思われるが、それでも徒歩となると・・・

「ねえっ! 衝撃波の間隔が20秒くらいになったわっ! どうすればいいの!!」

 太乙真人の額に汗が流れ落ちた。

 衝撃波の間隔は徐々に短くなっている。
 ここまで短くなってしまえば、いつ突然大きな衝撃波に変化してもおかしくない。
 現段階では全くの根拠はないが、集積した数少ないデータがこの衝撃波を『危険』だと 彼に判断させていた。
 本当なら一刻も早くワープゾーンを開いて、皆を避難させなければならないのだ。
 しかし天祥をはじめ数名の道士が戻っていない。

「くそ・・・っ、何故移動用の宝貝を作ってやらなかったんだ・・・」

 キーを叩く手を止め、強く拳を握り締める。

 確かに人間界へ赴く際に表立って宝貝を使用するわけにも行かず、仮に天祥がそれを持っていたと しても、それを蓬莱島に置いていっているのであれば何の意味もなさないわけであるが・・・

「よし。・・・開門しよう! セン玉君。ワープゾーンを開くから、順にメンバーを戻してくれ。 悪いがキミは、もう少しだけ待ってくれないか」
「わ・・・わかったわ。そのかわり危険を感じたら誰が何と言おうと帰るわよっ!」

 すぐに重く鈍い音をたて、ワープゾーンの扉が開く。

 人間界と蓬莱島を結ぶワープゾーン内部には封神台でもある神界が存在するわけであるが、 必要以上に神界の魂魄に会いに行く者が出ないよう、2つの出入り口は神界偏狭の極狭い空間に 向かい合って開くよう作り直してあったのだ。
 こちら側の扉を開くことによって、人間界の任意の位置に空間の歪みが生じるような 仕組みになっている。

 扉が押し開けられると同時に、数名の道士達が慌てふためきながら戻ってくる。
 当然その中に天祥はいない。

「・・・レーダーに反応があったわ! 多分近くまで戻ってきている・・・」

 セン玉がそう言った。
 その事実を喜ぶべきか否か・・・

「 ――――― 俺が行く」

 不意に声がした。

「・・・ナタク・・・来ていたのか・・・」

 彼の言葉通り、その場に現れたのはナタクであった。

「良くはわからんが、つまりは俺が天祥を連れ戻せばいいんだろう?」

 彼を人間界に単独で向かわせることは楊ゼンから禁じられてはいたが、この場合は やむを得まい。
 天祥がそれほど遠くまで離れていないのであれば、ナタクなら数十秒もあれば 彼を見つけ出して戻ることができるであろう。

「・・・わかった! セン玉君。聞いての通りだ。キミはそのまま戻って・・・」

 言いかけて太乙真人は自分の目を疑った。
 今にも、ナタクはワープゾーンの中に飛び出そうとしている。

「ま、待てっナタクッ! 今セン玉君が戻るから、彼女のレーダーを持っていくんだ」

 その方が明らかに効率的であろう。

「了解。戻るわっ」

 それと同時にセン玉からの通信が途切れた。
 神界内は通常の空間と異なるため、通信が不可能となる。
 ワープゾーンのゲートから彼女が姿をあらわすのに数秒も要しない。

「はいっ! レーダーよ。急いでっ!」
「お前に言われなくてもそうする・・・邪魔だ。どけろ」

 彼女に視線を向けようともせず、ナタクはレーダーだけ受け取った。

「いいかい、ナタク。人間界についたら自動的にレーダーのスイッチが入る。・・・中央の 十字のマークがワープゾーン。青いマークが現在位置で赤いマークが・・・」

 慌てて彼に駆け寄り、そう説明しかけたその時である。

「 ――――― !!」

 突然、太乙真人の端末機が警告音を発したのである。

「なに? なになに、何だっていうのっ?」

 全員の視線が太乙真人へと集まる中、ナタクだけはそれに構おうともせず扉の中に 侵入した。

「・・・いけないっ! ナタクっ! 戻るんだっ!!」

 だがそこは、既に神界内部。


 ナタクには ――――― この時何が起きているのか・・・起きようとしているのか、全く 理解できなかったのである。


 まるで風圧のような衝撃波がゲートから津波のように押し寄せる。
 これにはさすがのナタクも入り口付近で動きを止められていた。

 端末機の発する警告音は先刻とは音質を変え、細かな一定の間隔で鳴り響き続けている。
 機械の持ち主でなくとも、事態の深刻さは手に取るように伝わっていた。

「・・・戻れナタク! この衝撃波はさらに大きくなってもう1つ来るはずだ! すぐに扉を 閉めないと蓬莱島まで危険なことになる!」
「だが天祥はまだ向こうにいる!」

 ナタクが天祥救出を諦めるはずがないことは彼も承知していた。
 何を言っても、誰が止めても、彼は再びワープゾーンに入る・・・


 ――――― それは、彼自身が誰よりも承知していた ―――――


 咄嗟の出来事だった。

 振り向きもせず、さらにその内部に入ろうとしていたナタクを、彼は渾身の力をこめて 突き飛ばしたのである。
 ちょうど、扉とナタクとの間に割り込むような形で、普段の彼からは信じられないような 力で ―――――


 その意外な光景と、ほぼ同時のことであった。

「 ――――― !!」

 いわゆる『音』とは明らかに異なるような爆発音に似た衝撃波がその場に居合わせていた者全てを 襲ったのである。
 それと同時に、神界内部へと押し開けられていた扉が衝撃波に押されて閉じかかる。

「 ――――― うそ・・・だろ」

 ナタクは自らの目を疑った。

 扉内部には、太乙真人がいる。


 ほんの一瞬前、自分を扉の外側に突き飛ばした彼の姿が ―――――


 轟音と共に、扉が閉じた。
 あの衝撃波がまるで嘘だったかのように、辺りに静寂が訪れる ―――――



 唯一 ――――― 耳障りな警告音を鳴り響かせ続ける、主を失ったその端末機は・・・

 やがて、何事もなかったかのように静かに沈黙した ―――――





『倭国封神』 第一幕 第六話に続く・・・

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あとがき・・・


 なんか前半部分と後半部分とでチグハグな感じの構成になってしまいましたが・・・
 ツル達のことも書いておきたかったし、かといってそろそろ見せ場をひとつ書いて おきたかったし・・・というわけで、御了承ください。

 あ。更新が遅れたこと、お詫びいたします〜
 太乙ファンとして、書きたくもあり書きたくないシーンだったもので・・・(苦笑)





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