『倭国封神』 第一幕第一話 『時を越えて』灰色の狭い空に日常性を感じるようになったのは、つい最近のことである。 濁った空気の息苦しさも、聴覚を必要以上に刺激する雑音も、慣れてしまえばそれほどの 苦痛ではない。 無論『苦痛ではない』と『快適』とは同意語ではない。 正直、彼は『ここ』での生活に満足はしていなかったし、 それに適応しようとも思っていなかった。 「でも・・・生きていかなきゃならないんだ」 これは、彼の口癖になっていた。 癖というより、自らを励まし、奮い立たせるための『おまじない』のような ものなのかもしれない。 今日も彼はそう自分に言い聞かせ、歩道の隅に店を構える小さな露店で 必要最小限の買い物をする。 栄養摂取のための行動である。 どんなに強く逞しい人間であろうと、食料なしでは生きてはいけない。 食料を手に入れるためには必要最小限の現金も必要であり、それを手に入れるために彼は、 また同じ言葉を自らに言い聞かせ、必要最小限の労働をもした。 ――――― 金儲けは楽しい・・・ 昔、ある人がそう言っていたと聞いたことがある。 そして、その金を自由に使うこともまた『楽しい』ことなのかもしれない。 だが・・・今の彼にとってのこの行為は、無意味なものに他ならなかった。 食べずに済むのなら何も食べたくはなかったし、食べるために金を稼がずに済むのならそれを するつもりもない。 ――――― だが・・・ 「・・・生きていかなきゃならないんだ」 冷え切った調理パンを無造作に喉に流し込み、彼はもう一度そう呟いた。 考え方こそ、他人と大きくかけ離れたものであったかもしれないが、彼の姿形は辺りの情景に 実に良く一致したものだったと言えよう。 今時の若者が身に付けるような・・・最先端とまでは行かずとも、それなりに見栄えのする着衣 ・・・道行く者の誰であろうとも、彼を『普通の少年』以外に見るとは考え難い。 年の頃は16・7か・・・見る者によってはもう少し年下にも見えたかもしれないが、 無造作に少しだけ伸ばした後ろ髪を軽く縛り、何の目的意識も持たぬように街を徘徊する様は、 この街にあまりにも溶け込んでいた。 「・・・・・・」 無言のまま彼は、わずかに視線をずらし自らの腕時計を一瞥する。 実のところ、先刻から彼は何度もこの仕草を繰り返していた。 ――――― いや・・・先刻からなどではない。 もう、気の遠くなるような昔から、何度もこの仕草を繰り返しつづけていたのである。 その腕時計は・・・正確には腕時計の様に彼の左手首に取り付けられている金属製の物体は、 見るからに不恰好で、遠くから見る分には充分『腕時計』で通用するかもしれないが、間近で見ると 思わず首を捻りたくなるような不思議な形状をしていた。 先刻、彼の容姿は至って普通の若者である・・・と述べたばかりであるが、強いて言うならこの 腕時計状の物体だけが、明らかに異色を放っているのかもしれない。 とはいえ、この都会の雑踏の中、たった一人の若者の腕時計の形状に興味を向ける者など存在 するはずもなく、したがって彼の仕草そのものも誰の注意を惹くこともなかったわけである。 信号機が変わり、足を止めるなり彼はまた時計に視線を落とす。 「・・・反応している」 周囲の者には聞き取れないくらいの小声で彼は呟いた。 だが、その声に驚きの色は全く感じ取れない。 実を言うと、この『時計』は、もう長いこと『反応』を続けた状態のままだった。 その『反応』の程度に大小の差こそあれ、常にこの一帯で反応し続けていたのである。 しかし、それは非常に微弱な『反応』で、その正確な方向も距離も、一体『何に』反応している のか・・・という根本的なことさえも全く掴むことができなかったのである。 彼がこの街に居続ける理由は、これなのであった。 (もう・・・壊れているのかもしれない・・・) この『時計』を時計状の形に改造したのは他ならぬ彼自身であった。 持ち歩くのに不自由がないよう、そして他人から見られて怪しまれぬように、不器用な手先 ながらも師の仕事を真似て、長い時間をかけて作り変えたのである。 だが、彼が手を加えた時点で、既にこの『時計』はかなりの機能不全を起こしていた。 それでも一縷の望みをかけて、彼はそれを持ち続けているのである。 街には、実に多くの人々が行き交っていた。 彼と同じくらいの背格好の若者はもちろん、もっと年上のサラリーマン風の男達に辺りの 商店で働くアルバイトの少女・・・ 時には熟年の夫婦連れや、小さな子供を抱いた母親ともすれ違う。 (決して幸せな世の中とは言えないのかもしれないけれど、 それなりに平和な時代なんだよね) そんな光景を横目で見ながら、彼はそう思う。 ――――― みんな・・・こんな時代に生まれていたら、幸せだったのかな・・・ 両親や兄を失った時、彼は自らの生まれた時代を何度も呪ったものだった。 もちろんそれが全く意味のないものであることくらい幼いながらに理解はしていたし、 死んでいった者達がそのような思考を喜ばぬこともわかってはいたのであるが、 それでも一人の時にはそう考えてしまっていた。 道行く全ての人々が幸せであるはずはない。 それでも、時々幸せそうに微笑みかける家族を見かけると・・・彼は今でもそう感じずには いられないのであった。 「会いたいな・・・ナタク兄ちゃんに」 年の離れた兄弟か、それとも近所の子供同士なのか・・・楽しげに笑いながら駆けていく 二人の男の子が通り過ぎた瞬間、彼は思わずそう口に出していた。 一度たりとも忘れることのなかった名前 ――――― 弱音を吐いてしまいそうで、その名を口にすることは極力避けていた。 もう、二度と会えないかもしれない大事な ――――― 「 ――――― チ」 不意に、思考の外側でざわめいていたはずの都会の雑音の中のある一言が、 彼の耳に飛び込んできた。 「 ――――― !!」 傍から見ている者でも、何事かと気になるほどの驚きの表情を浮かべて、少年は振り返る。 (うそ・・・だ。でも・・・今確かに ――――― ) たった一瞬のその声の出所を無我夢中で彼は探す。 ――――― が、都会の人の流れはまるで生き物である。 次の瞬間にはそこに存在する全ての状況が変わってしまっているのだった。 (見つからないか・・・) 落胆というより、諦めに似た感覚であったろうか。 ――――― そう。だって、彼は・・・とうの昔に死んだはずなのだから ――――― だが、少年の耳に聞こえたその一言が、彼が『死んだ』と思う者の名であったことも事実。 彼の死に様を直接その眼で見たわけではない。 ただ、人からそう聞いただけのことである。 ――――― もしかしたら生きているのかもしれない。 そういう望みを抱くのも悪い考えではない。 ――――― だが・・・ 彼が生きていたはずの『時代』から、残酷までに遥かな『時』が 流れ去っているというのも事実。 ――――― 生きているはずがない。 それでも、確かに聞こえたのである。 もしかすると、同じ名を持つ別人を呼ぶ声だったのかもしれない。 それでも、確かに・・・天祥はその名を聞いた ――――― 雑踏の中、掻き消えてしまうほどの声ではあったが・・・ 『武吉』・・・という名を ――――― 一つ前の話を読み直す あとがき・・・ 意外・・・なのかどうかはわかりませんが、本編最初に登場したのは天祥君でした☆ 一応、誰を主人公に・・・ってことは決めずに、全員にそれなりに活躍してもらおうと 思っているのですが、『新しい時代の封神演義』を目指している関係上、やっぱり天祥君の 出番は多くなるのでは・・・と、思っております。 そして、『新しい時代の封神・・・ってことは、普賢や天化は出ないのね。残念』・・・って、 思っているあなた!! 決め付けるのは、まだ早過ぎますよっ☆ (意味深?) メニューページへ戻る 全ジャンル小説図書館へ戻る 『封神演義』封神小説へ戻る |