『翼が消えた天使』 第一部






第七話 『想いの違い』



「おや、こんなところで珍しい人と出会ったね・・・」

 そう言いながらオリヴィエは、視線の先の『珍客』へと歩を進めた。

 柔らかな陽射しは木々からこもれ、下草に僅かに残る朝露が宝石のように輝く。
 まだ気温の上がりきらぬさわやかな微風が鬱陶しさを感じない程度に髪をなびかせる。

「おまえの方こそ、このようなところで何をしている」

 一瞬視線を向け、彼はそう答える。

「私は朝の散歩・・・ってとこ。ちょうどルヴァに用事もあったしね。早めに出かけてきた・・・って わけ」

 執務にはだいぶ早い時間であったが、恐らくルヴァなら早朝の読書に勤しんでいる時間で あることだろう。
 遠慮の必要もあるまい。

「・・・なるほど」

 さほど興味なさげにそう返る。

 そんな彼とのやり取り自体、それほど珍しいものでも何でもないことであるのだが、朝の 爽やかな風景の中に、その黒を基調とした装束はあまりにも不釣合いであった。

 それに・・・あのクラヴィスが他の守護聖の私邸前に出向くということ自体、天文学的な 確立といっても良いほどに珍しいことなのである。
 しかも、時間は早朝である。

「ルヴァに用事かい? こっちは別に急ぐものでも何でもないから、順番は譲るよ」

 元から、オリヴィエの方が後からきたわけであるから、 『譲る』も何もないわけであるが・・・

「その必要はない。ルヴァは不在だ」
「え?」

 別に驚くほどのことではない。
 ルヴァ自身、早朝の散歩をすること自体珍しいことではなかったし、早々に執務室に向かうことも あるだろう。
 時折何かの思いつきで、王立研究院付属の図書館へ足を伸ばし、宿直の研究員を 困らせたことがあるとも何度か聞いたことがある。
 そうであるから、オリヴィエの言葉は、驚きというより、単なる相槌に近いニュアンスの ものであったのだが・・・

「執事が言うには、昨夜から執務室に篭ったまま戻らぬらしい」
「ええっ?」

 今度の驚きは本物であった。

「・・・なんで?」
「私の知ったことではない」
「まあ・・・そりゃそうだけど・・・」

 ルヴァが研究に没頭し、私邸に戻らぬことは時折あると聞いていたが、 このような時期に彼がすることとは到底思えない。
 それに大抵の場合なら、ある程度の時間を見計らって私邸の者が迎えの馬車を出し、 半ば強引に連れ帰っているはずである。

「・・・私は一旦私邸に戻るが、もう用はないな?」

 問い掛けの形にはなっているものの、彼は返答を待たずして会話の相手に背を向ける。

「あ、ルヴァに会ったら、クラヴィスが探してた・・・って言っとこうか?」

 クラヴィスとて用があるのなら、直接執務室に出向くなりするであろうが、少なからず 彼の用件とやらが気になったというのも事実。

「・・・その必要はない」

 が、振り返りもせずのその一言。

(・・・ま、言うと思ったけどね・・・)

 一語一句予想に反しない返答ではあったが、それでもオリヴィエはわざとらしく 僅かに肩を竦めてみせる。

「さて・・・と、私はどうしようかな」

 朝の散歩を続けるべきか否か、彼はそう呟いた。



「おはよう、女王候補さん達。試験1日目はどうだった?」

 背後からの声に、白い敷き石の小道を歩く2人の少女は振り返る。

「おはようございます、マルセル様」

 さすがに同時というわけにはいかなかったが、それぞれそう返す。

「昨日は、研究院のデータの解析を元に、今後の計画を立てたんです。今までの女王試験とは 大きく異なる形態の試験とのことで、情報が不充分な点が気になるんですけど、 これから守護聖の皆様のところへお伺いして参考になるお話を聞かせていただこうと考えて いたんです」

 挨拶の後にそう付け加えたのは、レイチェルという名の女王候補。
 王立研究院の付属教育機関出身の少女だと聞かされていた。

「私は・・・まだ良くわからなくて・・・でも、一生懸命頑張ります」

 レイチェルの自信に溢れる言動とはまた別の意味の力強さ。

(まるで、僕の知っている『アンジェリーク』みたいだ・・・)

 名前とは、かくも不思議な力を持っているのだろうか ―――――

 その髪の色も、瞳の色も、身に纏う制服すらも全く異なるものだというのに・・・

「そういえば・・・アンジェリークって、スモルニィ学院の出身なんだよね? 制服、 変わったの?」
「ええ。スモルニィを御存知なんですか?」

 何気なくついて出た言葉ではあったが、マルセルはこの問いを投げかけたことを 激しく後悔した。

(前の女王試験のこととかは、話しちゃいけない・・・って言われていたんだっけ)

 先の女王候補の身元を明かすことは当然禁じられていることであるし、過去の試験の情報を 他から与えられることによって試験に何らかの影響が及ぼされる可能性もある。
 特に『アンジェリーク』という、主星にはありふれた名を持つ彼女に対しては、細心の注意を 払うようにとジュリアスからもきつく言われたばかりでもあった。

(どうしよう・・・研究員のリモージュのこともあるから、気を付けなくっちゃ・・・って 思っていたのに・・・)

「何言ってるのよ。自分の母校のことも知らないの?」

 返答に躊躇していることを察しとられるだけの間も置かず、まるで助け舟のようにレイチェルが 口を挟む。

「スモルニィ・・・ってのはね、主星で唯一の専門の女王候補の養成クラスがある 特別な機関でもあるのよ。守護聖様が御存知ないはずないでしょう?」

 確かにその通りである。
 守護聖だからといって、スモルニィのような女王候補養成の機関と直接の関わりがあるわけでは ないのだが、この場を切り抜ける言い訳としては充分なものであろう。

「あ、そうか・・・確か、そんなことを聞いたことがあったっけ・・・」
「呆れた、自分の母校でしょう?」
「でも・・・今は特待生のクラスはなくなったのよ? 去年まではあった・・・って聞いたことが あるけど・・・どうしてなのかしら」


 ――――― 女王のサクリアは、与えられた家柄や知識とは 無関係なもの ―――――


 先代女王は、先の試験を執り行う際に当時の補佐官のディアにこう告げたと言う。
 聞くところによると、先々代の女王試験の際にも、当時の女王がそのようなことを口にした とも言われていた。
 その女王の言葉が学院に届いたためなのかどうかは解りかねたが、 マルセルもその考えには賛成である。

「大体、専門の養成機関出身じゃないと、試験に参加できない・・・って決まりがあったとしたら、 あなたがこんなところにいるはずないじゃないの?」
「あ・・・そうか。でも、レイチェルも同じことでしょ?」
「王立研究院付属の教育機関は、聖地をはじめとする女王直属の地域や施設の職員として 必要な、全ての知識を学ぶ所でもあるんだから。単なるお嬢様学校出身より、ずっと 女王候補として相応しいと思うけど?」

 こんな二人の女王候補のやり取り・・・
 姿形も、口調さえも全く異なるものであるはずなのに、 思い出すのは飛空都市での日々・・・

「・・・マルセル様?」

 彼のそんな異変に気がついたのはアンジェリーク・コレット。

「どうか、なさったんですか?」
「・・・ん? ううん、なんでもないよ。ただ・・・なんか2人とも、仲がいいのか悪いのか、 良くわかんないな・・・なんて思っちゃって」

 マルセルのその言葉に2人は顔を見合わせる。

「じゃ、僕はそろそろ執務の時間だから・・・用があったら、いつでも声をかけてね」

 若干不自然に思われたかもしれないが仕方あるまい。
 彼はそれだけ言うと、彼女達に背を向けて走り出した。

(やっぱり・・・思い出しちゃう)

 女王候補達に涙は見せたくなかった。

(僕でも・・・僕でさえこんな気持ちになるんだから・・・)

 向かい風に涙が零れ落ちそうになるのを何とか堪えてマルセルは走り続ける。


 ――――― ランディはもっと辛い思いをするかもしれない。


 しばらくそのまま走り続け、辺りに誰もいないことを確認してからマルセルは足を止めた。

 風の守護聖ランディが、先の女王試験の折に女王候補の一人に淡い恋心を抱いていたということは、 何名かの守護聖が知る事実であった。

 ほんの短い試験期間に芽生えた、それが『恋』とも気付かぬほどの淡い想い・・・


 ――――― でも、それは決して形にはならなかったから・・・


 その想いを伝えることなく試験は終了し、彼女の思いを聞くことなくランディは日常の 中に戻っていった。

(いくら、あの2人の姿が前の女王試験を思い出させても・・・『アンジェリーク』に瓜二つの 新任研究員の微笑みに姿が重なったとしても・・・それはただの『過去』の思い出に過ぎないだけ だから・・・)

 所詮は過ぎ去った出来事。

 誰もが一度は経験するであろう初恋は、やがて心の奥底にしまいこまれてしまうもの。

 一時の想い出を互いの心に刻み込んだり、想い届かず人知れず涙したり・・・
 彼のように・・・その『想い』すら伝えることができなかったり、その『想い』の存在にも 気付かずに理由のわからぬ切なさを感じたり・・・

(きっと、誰だって体験することなんだから・・・)

 ふと、果たして自分はどうなのであろう・・・という疑問が沸き起こる。


 ――――― 多分、僕もアンジェのことが好きだった ―――――


 『恋』とか『愛』とか、言葉で説明が付けられるほどの簡単な感情ではない。


 ――――― 僕は、アンジェが『アンジェリーク』っていう存在として 好きだったんだ ―――――


 それが『初恋』だったのか、友情だったのかなんて、関係ない。

(そんな想い出を思い出しちゃうのに理由なんてないと思う・・・)

 家族や友達と離れて一人聖地に赴いた時と、どこか似た感情・・・
 今まで手元にあったはずの『当たり前の何か』が、突然手の届かぬところに消え失せてしまった 時に感じるであろう戸惑い・・・

(それでも・・・僕は、大丈夫)

 先の女王試験が終わっても、試験以前の平穏な日常が帰ってきただけのこと。

(ランディだって、きっとそうだと思う)

 『形にならなかった恋心』は、いつかは心の奥底にしまわれる。
 いつもの『日常』の中で、それが『思い出』へと変わってしまうのならば、 他の感情とそれほど大きな違いがあるとも思えない。


 ――――― だけど・・・


 今来た道を振り返り、まだ姿の見えぬ2人の女王候補の姿を思い出す。

 あの女王候補達を見て・・・
 『アンジェリーク』という同じ名前を聞いて・・・
 彼女と瓜二つの女性の姿を目にして・・・


 ――――― 陛下は・・・一体、どう感じるんだろう ―――――


 自然に訪れた『別れ』とは違う形の『別離』 ―――――

 今でも信じられなかった。


 『アンジェリーク』が『ロザリア』を裏切るような形に終わった、あの『結末』を ―――――  





『翼が消えた天使』 第一部 第八話に続く・・・

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あとがき・・・


 やっと本題に近づいてまいりました・・・
 純粋なアンジェファンには大変申し訳なく思いますが、『パラレルな話』ってことで御了承 ください。

 次回は・・・『前女王試験』について語るべきか、話を少し先に進めるべきか・・・ どっちにしようか少し迷っていたりします。





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