『翼が消えた天使』 第一部第六話 『薄布の奥』「えーっと・・・私と同じ名前の方・・・ですか?」 突然の呼び出しの理由に困惑しながらも、彼女はそう答えた。 広く明るいその部屋には、見るからに重厚で気品に満ち溢れる家具や調度品が嫌味でない程度に 幾つも置かれている。 決して華美なものではなかったが、出所のきちんとした名のある一品ばかりなのだろうという ことくらいの想像はつく。 ――――― 光の守護聖ジュリアスの執務室は、彼の第一印象をそのまま映し出したかのような 部屋であった。 守護聖個人の執務室と聞いていたから、まずはその広さに驚いた。 彼女が今まで通っていたスモルニィ女学院の院長室よりは広く立派なものだろうという程度の 想像はしていたが、実際のそれは彼女の想像の域を遥かに越えていた。 その『意外な出来事』に気持ちがそれてしまったおかげで、彼女は首座の守護聖からの 突然の呼び出しに対して、余計な緊張を払わずに済んだのかもしれない。 「以前、守護聖達の元で働いていた者の名が、アンジェリークと言ったのだ」 「守護聖様達の・・・? 秘書の方か何かでしょうか?」 「・・・聖地の人事について、これ以上そなたに語ることはできぬ」 ジュリアスと言えども、困惑の感情くらいは持ち合わせている。 さすがに、前の女王候補の名が同じ名前だ ――――― と伝えるわけにもいかない。 かといって、オリヴィエの危惧を放って置けば、混乱を招くかもしれないことも事実。 嘘をつくことに抵抗がなかったわけでもないが、この程度の嘘であれば女王試験に支障をきたす ようなこともないであろう。 ただ、どのような些細なことであっても全ての事柄において真面目に守護聖として執務をこなして きた彼にとって、『嘘をつく』行為は、決して得意なものではなかったのである。 無論、聖地の住人や他の惑星の民達に余計な不安を与えぬよう真実の一部を隠し通すといった 必要性にかられたことも何度もあったし、それも大事な執務の一部であることも事実。 それでも彼の執務上の『嘘』は、他人に見破られるようなことはほとんどなく、そのようなわけで、 多くの者達は彼のことを『ポーカーフェイス』と感じているのだろう。 もちろん普段から彼が個人の感情を無駄に表に見せることなど皆無に等しかったためでもあるの だが、時に『嘘を見抜かれないために』意識して感情を押し殺すことがあることも事実。 この時が、まさにそうであった。 「・・・あの、申し訳ありません。つい・・・自分と同じ名前だ・・・ってことで親近感が 沸いてしまって・・・」 「いや、まだこの聖地に慣れていないのだろうから仕方あるまい」 さすがにその言葉が必要以上にキツイものだったとジュリアスも自らを戒めた。 「用はそれだけだ。守護聖達やその他試験の関係者が、そなたの名を呼ぶ時に戸惑うことが あるかもしれないと思い、先に伝えておくべきかと思ったのだ」 「はい。お心遣い、ありがとうございます。それでは明日からの試験に備えて、 寮に戻らせていただきます」 一礼して立ち去る少女。 その名は、アンジェリーク・コレット。 彼らの良く知る『アンジェリーク』とは一見して異なる容姿の少女・・・ 髪の色も瞳の色も全く異なってはいたが、彼女の醸し出す雰囲気だけは、 どことなく『アンジェリーク』と似ているような気もする。 「それでも間違うことはあるまい・・・」 「ええ・・・そうは思いますけどねー。実際、前の女王試験の時にも大きな混乱はなかったわけ ですし」 奥の間から、ルヴァがそう言いながら現れた。 「前の試験は試験と試験との間隔が開いていた。それに、 大半の守護聖が当時と入れ替わってもいた」 先代の女王の名も『アンジェリーク』といった。 その先代の女王のことをその名で呼んだことのある守護聖は、僅か3名。 しかも、彼女のことを『陛下』と呼ぶようになってからの年月も長かった。 当然、若干の違和感を覚えたことがないといえば嘘になるかもしれないが、先の試験中、 そのことについてを問題視するものは1人としていなかったのも事実。 「問題は、リモージュとかいう研究員の方・・・というわけだな」 「あー、彼女にはエルンストからそれとなく伝えてもらいました。さすがに貴方と同じく、 適当にごまかした説明でしたが。その・・・私は上手に嘘を付くことができない性質でして・・・ もっと見習わなければなりませんねー」 ルヴァのその言葉に、ジュリアスは思わず軽く咳払いをした。 「用が済んだら、執務に戻るといい。そなたには通常執務の他に、試験についての様々な 仕事も任せてあるのだ。時間を無駄にすることは感心なことではない」 「ええ・・・明日までに必要な分は、私邸で仕上げるので大丈夫です。それでは・・・」 何か言いたげな表情を一瞬見せたのは気のせいだったのだろうか。 ルヴァは、そのままジュリアスの執務室を後にした。 「オスカー様。今、よろしいでしょうか?」 ノックと共に1人の女性が執務室の扉を開く。 「ほんのちょっとだけ待ってくれ。今終わる」 言いながら、オスカーは、まとめ上げられた最後の書類にサインをすると、脇に控えていた 女性秘書にそれを手渡した。 彼女に書類の行き先を伝え、足早に出て行くのを確認してから、 オスカーはその視線を美しい黒髪に向ける。 「女王陛下付きの研究員が、わざわざ訪ねてくるとは思わなかったぜ」 「ロイがランディ様の御用で出かけておりますので・・・」 「なるほど・・・ということは、アイツにいろんな仕事を押し付け続ければ、こうして 時々は訪ねてきてくれるというわけか、お嬢ちゃん」 そのオスカーの言葉に、アニエスは一瞬目を丸くした。 「・・・試験の妨げになる行為は御遠慮いただけますか?」 オスカーの性格については、恐らく予め何らかの説明がされていたのであろう。 すぐに気を引き締めたかのような、彼女の言葉が戻ってくる。 「・・・冗談だ。いや、これはレディに対して失礼だったな」 神妙な面持ちなど微塵も見せずに彼はそう答える。 「研究院からの新しい資料をお持ちしました。これから私は補佐官様の元に参りますので 何か御用があればそちらにお願いいたします」 「他のところへ行くというのなら、すぐにでも呼び戻してやりたい気持ちだが・・・ さすがにそういうわけにもいかないな」 今度のオスカーの軽口には微動だにしない。 「では、失礼いたします」 事務的ではあるが、決して礼を欠くようなことはない態度。 それでも会話を楽しむには若干面白味に欠ける。 「・・・さて、そろそろ時間か・・・」 部屋の置き時計は夕刻を指し示していた。 「こんな時間だというのに、まだ仕事が残っているのか。・・・ さすがに食事に誘うのは気の毒だな」 窓の外の世界は、いつの間にか夜を迎えていた。 この宮殿の渡り廊下の奥の領域には、あまり時間の概念はない。 宇宙を支え続ける女王に、安息の時などありえないのである。 それでも、彼女は夜を迎えると、ほんの僅かだけ安堵の気持ちを覚えた。 ――――― 少なくとも、今日という一日が、間もなく平穏に終わる ――――― 無論、宮殿内を様々な所要で行き来する多くの者達が、夜を迎えると同時に家路につくため、 余計な仕事や気苦労から解放される・・・という、個人的な事情も含まれていたわけではあるが、 そのくらいの感情を隠し持つくらいで咎められることもないだろう。 (さてと・・・あとは、大廊下の扉の戸締りだけね・・・) 普段ならこの時間にはとうに閉じてしまっているはずのその扉も、 先刻までの来客のために開けたままになっている。 それを閉ざすことで、とりあえず・・・ではあるが、彼女の仕事は終了する。 「・・・・・・?」 鍵をその手に握り締めたまま、彼女は小首をかしげた。 怪訝そうなその表情は、やがて驚きへと変わる。 「 ――――― ルヴァ様?」 至極小さな声のつもりだったのだが、人気のないその廊下には意外なほど反響する。 彼女は思わず口を抑えた。 「あー、来客中のようでしたので、勝手にここで待たせてもらっていましたよ」 普段と変わらぬ穏やかな声。 「あの・・・このような時間に一体・・・」 彼女がこの宮殿の奥の領域を取り仕切るようになってからのことではあるが、 陽が落ちてからここを訪ねて来る者はほとんど存在しなかった。 それらの例外のどの場合も、いわゆる緊急の用向きであり、大抵は王立研究院経由で 先に連絡が入る。 守護聖自らが何の前触れもなく訪れたことは、彼女の知る限りでは恐らくないはずだ。 いや、それ以前に、例え昼の執務時間中であったとしても、彼がこの領域を 1人で訪れたことがあっただろうか・・・ 「ミリー・・・お忙しいところ申し訳ありません。陛下に お取次ぎ願いたいのですが」 ルヴァの言葉に、ミリーと呼ばれたその少女は顔色を変える。 「ルヴァ様! 陛下はどなたにもお会いになりません。・・・いえ、なれません。貴方様も 良くわかっておいででしょう!?」 言いながらミリーは、自分自身の言葉に驚きを感じていた。 守護聖相手に、随分と偉そうな口を聞いたものだ。 宮殿に仕えるようになったばかりの頃は、その顔すらもまともに見ることができなかったと いうのに・・・ 話しかけられても、なんと答えたらよいのかもわからずに狼狽を繰り返し、 何度彼らを困らせたことがあっただろうか。 「・・・わかっています」 意外にも、あっさりと彼はそう答えた。 「ですから、こんな時間に来たのです」 最も思慮深い守護聖であるはずの彼の言う言葉とは到底思えなかった。 「・・・陛下は、誰にもお会いになりません!」 ミリーは再びそう答える。 「一瞬たりとも気を抜ける状況ではないのです。特に昨日、聖地の時間の流れ方を 調整した時の反動で、陛下のお体には更なる負担がかかっています。 無論、僅かな時間ではありますが休息のお時間を取っていらっしゃいます・・・しかし、 そのお時間の全てをもってしてもお体の完全な回復には程遠いのです」 事務的回答でも、義務としてでもない。 心の底から女王を思う気持ちから生まれた言葉であった。 それはルヴァにも伝わっていた。 本来であるならば、『良くぞそこまで言った』・・・と、頼もしく成長した彼女を褒めてやらねば ならないのだろう。 「・・・・・・」 それでも彼は退かなかった。 「仮に私がここをお通ししたとしても、陛下は謁見の間にいらっしゃることはありません。 謁見の際は陛下の御都合の良い時間に合せていただくお約束では・・・?」 「ですからミリー、貴方に直接掛け合っているのです」 彼のこのように厳しい表情を見たことがあっただろうか・・・ 「・・・これは命令です。今すぐ陛下に、ルヴァが訪ねてきたと伝えてください」 情けない話ではあるが『迫力に負けた』とでも言うべきだろうか。 ミリーはルヴァを謁見の間に通した。 通したところで、女王がその場を訪れることはありえない。 今までにも、何度か他の守護聖からの謁見の申し入れがあったものの、それが受け入れられた ことは一度もない。 女官や補佐官への伝言で間に合わせるか、女王の方から守護聖を謁見の間に呼び出す機会が 来るまで待つしかないのだ。 その女王の呼び出し自体、即位以来数えるほどしかなされていない。 それでも、ルヴァは謁見の間に入っていった。 慌てて持ち場についた女官達に席を外すよう伝え、そのまま女王が座するべき薄手のカーテンの の奥を見つめている。 「・・・ルヴァ様」 女官達と入れ違いに、ミリーが姿を現した。 「お待ちになるように・・・とのことです」 信じられないといった表情で彼女は言った。 確かに女王は、『会う』とも『会わぬ』とも言わなかったが、間違いなく『待つように』との 言葉を発したのである。 「ありがとうございます・・・ミリー。その・・・先ほどは、あのような物言いをしてしまって 申し訳ありませんでした」 いつものような穏やかな口調であったが、その表情はわずかに硬い。 「・・・いえ。外に控えておりますので、何かありましたらお声をかけてください」 席を外すべきか否かをルヴァに訊ねようかとも思ったが、彼の表情を見て、 そのまま下がることにした。 「ミリー・・・」 一礼して静かに歩き出した彼女を、その一言が引きとめる。 「最近の貴方は・・・ますますディアに似てきたように思います」 恐らくは褒め言葉なのだろう。 彼女はもう一度一礼すると、そのまま静かに扉の外へと消えた。 薄手のカーテンが僅かに揺れる。 「・・・本当に、そう思いませんか?」 視線をそのカーテンに戻し、ルヴァはそう言った。 「いらしているのでしょう? 陛下・・・」 再びカーテンが揺れる。 「ルヴァ様・・・いえ、ルヴァ・・・」 閉ざされていたカーテンの向こうの人影が静かに彼の名を呼んだ。 「貴方の方から出向いてきてくれたのは・・・初めてのことですわね・・・」 布の合せ目からしなやかな手が現れ、僅かにそれを左右に分かつ。 ――――― 美しい、青い瞳がそこにはあった。 あとがき・・・ すでに気が付いていた方もいるでしょうし、今回の話で気が付いた方もいるでしょう。 このお話は、『2』の設定をベースにしてはいますが、『2』とは全く同じ世界観では ありません。 オリキャラが出まくるのはあじの趣味としても、女王試験の開始の仕方がちょいと違うとか まあ・・・いろいろ変更点もありまして・・・ そんなわけで、青い瞳の女王陛下・・・ってわけなのです。 メニューページへ戻る 全ジャンル小説図書館へ戻る 『アンジェリーク』アンジェ小説へ戻る |