『翼が消えた天使』 第一部






第十話 『細波の聖地』



「・・・・・・」

 時間にして、ほんの一瞬の間。
 僅かな沈黙が訪れる。

「・・・やはり、そうか・・・」

 溜息混じりとも取れるような一言を漏らし、彼は一瞬だけ伏せた目線を彼女へと向ける。

「・・・オスカー様・・・?」

 彼の言動に何かを感じ取ってはいるものの、それでもその真意までは汲み取れずに、リモージュは その場に足を止めたまま動けずにいた。

「実は、つい先日・・・俺はアニエスにも同じようなことを言ってみたことがある」

 ゆっくりと靴音を響かせて歩み寄りながら、オスカーはそう告げる。

「まあ、普通は戸惑うだろうな。・・・王立研究院の研究機関をとっくに卒業し、第一線で働いている 大人の女性に向かって、突然・・・『お嬢ちゃん』だなんて呼びかけたりしたら・・・」
「 ―――――― !!」

 明らかに顔色が変わったその瞬間を、オスカーは決して見逃さなかった。

「驚くところが違うぜ、お嬢ちゃん。いや・・・アンジェリーク・リモージュ。 もっと早くにそんな顔をしてみせるべきだった」

 歩調を変えずに近付いてくるオスカーから視線を逸らすことができずに、それでも彼女は 僅かに数歩だけ後ずさる。

「あ、あの・・・何のことを仰っているんだか・・・」

 まるで消え入りそうな声も、静まり返った研究院の廊下には良く響く。

「俺の目を節穴だと思っているのなら大きな間違いだな・・・。その声、その仕草・・・ こんな近くにいて気が付かないとでも思っていたのか?」
「・・・・・・」
「それとも、俺が気付くのを・・・そしてそれを口にするのを待っていたのか・・・」

 目前まで歩み寄ってきたオスカーの視線から逃れるように、ようやく僅かに顔を背けたものの 足は一歩も動かない。

「あの・・・ですから、私には何のことを仰っているのか・・・」

 精一杯の作り物の笑顔を浮かべ、辛うじてそう答えた様はある意味痛々しくも感じられた。

「・・・・・・」
「その・・・仕事が、まだ仕事が残っていますので、御用件がないのでしたら私は・・・」

 幾度目かに訪れた僅かな沈黙から逃れようと、作り笑顔のまま彼女は言う。

「・・・待て! 話はまだ・・・!!」

 身をすくめたままその場から逃げ去ろうとする彼女の後姿に鋭くそう叫ぶ。
 動揺の色は、その肩の動きだけでよくわかる。
 小刻みに震える肩の動きは、抑制しようと思っても簡単にできるものではない。

「・・・まいったな・・・まるでこの俺がレディを虐めている構図じゃないか」

 大きく溜息をついて、オスカーはそのまま彼女を解放することにした。

 ちょうどこの時、廊下の奥から別の誰かの足音が響いてきたというのも理由の一つ。
 だが、それ以前に、必死で震えを抑えようとしている彼女に、これ以上辛い思いを させたくないと感じたからなのだろう。

「・・・・・・」

 固く強張らせたその体で何とか大きく一礼し、そのまま小走りを我慢したかのような早足で 立ち去っていく彼女の姿を見送りながら、彼はもう一度溜息をついた。

「まだ、時間はあるさ・・・」

 まるで肩を竦めてみせるかのような仕草と共にそう呟くと、オスカーは何事もなかったかのような 顔でそのまま歩き出した。

「・・・・・・」

 やがてその足音も遠くなり、再び静寂が訪れる。

「・・・・・・」

 ややして、小さな音をたて、その廊下に面した小部屋の扉が僅かに開く。

「・・・って、今の・・・一体どういう意味だよ・・・」



 夕闇に静かなハープの音色が響く。

 軽やかな曲とも、物静かな曲とも質を異にしたその曲は、至極当たり前の日常を彩る効果音と してはもっと相応しいものなのだろう。
 決して耳障りであることはなく、曲自体に心を奪われるようなこともない。

 その証拠にこの日の来客も、それから耳を背けるようなことも、耳を傾けるようなことも なかった。

「・・・話は良くわかりました」

 弦を爪弾くその手を休めずにリュミエールはそう答えた。

「・・・それにしても・・・貴方が、私の館を訪れて相談事を持ちかけてくれるとは・・・なんだか 不思議な気持ちがしますね」
「べ、別に相談事とかそんなんじゃねーよ」

 普段通りのその笑顔に、ゼフェルはまるで居心地悪そうな表情を浮かべ、 僅かに視線を背ける。

「本来でしたら、こういうことならルヴァ様の方が適任だとは思いますが・・・」
「ルヴァにこんな話するわけにはいかないだろーが。ただでさえ女王試験のゴタゴタで 忙しくしてほとんど寝ていないくせに、ロザ・・・いや、陛下のことでも・・・その・・・」

 気まずそうに口篭もる彼を見て、リュミエールは再び笑顔を向ける。

 先刻、執務を終えて私邸に戻るなり執事より、ゼフェルが訪れていると聞かされた時は、 さすがの彼も心底驚いた。

 散歩のついでか庭先を勝手に通り抜けることや、他の守護聖に半ば無理矢理に連れられて 来たことなどが幾度かあったと記憶していたが、彼の意思でこの館を訪れるようなことは、 この日が初めてのことなのではないか・・・
 しかも、執事に用向きを伝え取次ぎをさせるという、正式な客人としての来訪である。
 見るからに不機嫌そうなその表情を除けば、守護聖として恥じることのない礼儀作法で あろう。

「そうですね。確かにルヴァ様にお伝えするのはもう少し待った方が良いかもしれません ・・・」

 以前の彼なら、決してこのようなことはなかったであろう。
 礼儀作法についてもそうであるが、他人に対しての気遣いなど、決して見せるようなことは ありえなかったはずだ。

 ――――― いや、このような表現だと誤解を招くかもしれないが・・・
 ゼフェルは元々、他人の動向など全く気にしていないようで、意外とそうでもない。
 他の者が気付くことのないような些細なことにも敏感に反応を示すし、それに対して的を得た 物言いをすることもある。

 ただ、自らそれを正面からぶつけてくるようなことだけは決してなかった。

 本来であるならば、そんな彼の『成長』を心から嬉しく思うべきなのだろうが、 今はそういう状況でもあるまい。

「それで・・・貴方は、私に何を望んでいるのですか?」

 弦を奏でる手を止め、真顔に近い顔で言葉を続ける。

「何を・・・って、別にそういう意味じゃ・・・」

 明らかに狼狽したかのようなその表情に、リュミエールは再び言い放つ。

「貴方は、私に何らかの行動を起こして欲しいがために、 この館を訪れたのではないのですか?」

 時にして一瞬。
 僅かに流れたその沈黙を絶妙な間で破ったのは、意外にもリュミエール本人であった。

「・・・いえ。今の言葉は取り消しましょう」
「 ――――― ?」
「この宇宙を女王陛下が支え続けるためには、守護聖9人の誰が欠けるようなことがあっても なりません。守護聖同士が情報を交換し合い、発生した問題を互いの力を合わせて解決していく ことも大切なことでしょう。ですから・・・」

 彼の表情に、再び笑みが戻る。

「ゼフェル、貴方の行動は、そして選択は正しいことなのでしょう」

 先刻の真顔がまるで嘘のような、穏やかな、いつもの彼の笑顔であった。

「・・・わかりました。この件につきましては、私の方でも少し調べてみましょう」
「お・・・おう・・・」

 拍子抜けしたかのような力ない返事ではあるが、当然安堵の息も混じる。

「私自身、口にこそ出しませんでしたが、ずっと・・・気にはなっていたのです。彼女は、あまり にも似過ぎている。それが、どのような意味であるかなど 想像もつきませんでしたが・・・」

 言いながら、彼は窓の外へと視線を移す。
 私邸の広い庭の木々に遮られているものの、その視線の先には、女王の住まう宮殿が存在する。

「そうですね・・・先刻の話と矛盾するかもしれませんが、しばらくの間は、この話は ここだけのものとしておきましょう。不充分な情報で聖地が混乱するようなことに なっては大変ですから」
「ああ。俺もそう思ったからよ・・・真っ先にここに来たんだと思うぜ」

 本来なら首座の守護聖であるジュリアスに相談を持ちかけるのが筋であることに間違いはないので あろうが、そうなると事が内々では済まなくなる可能性がある。
 逆に、年少の守護聖同士の噂話にするには、些か問題が大き過ぎるだろう。
 さすがに、オスカー本人に直接問いただすわけにもいくまい。

「私なりに調査してみた結果、必要に応じてクラヴィス様に御相談することになるかもしれない ことは了承いただきたいのですが・・・」

 当然ゼフェル自身も、そうなる可能性を考えた上での行動である。
 言葉にこそしなかったが、了解の表情で応える。

「更にその結果によりましては、ジュリアス様なり、王立研究院なり、またはオスカーや彼女、 そして他の守護聖達に話をすることになるとは思いますが、それまでは・・・」
「わーってるよ。誰にも漏らすな・・・ってことだろ? それくらいは承知しているから 安心しろよ」

 『クドイ』とばかりに背を向ける。

「・・・っていうか、むしろそれはこっちから言いたい台詞だぜ。 お喋りなヤツに掻きまわされたら、ただ事じゃ済まなくなるからな。そういう意味では、 ルヴァもそうだが、リュミエール・・・アンタも安心だ」

 振り向きもせず、そのまま何事もなかったかのように立ち去ろうとするゼフェルであったが、 その歩みが不意に止まる。

「・・・・・・?」

 リュミエール自身、全く気配に気がついていなかった。
 彼が自分で思っていた以上にゼフェルとの会話に神経を注いでいた為なのか、執事達を完全に 人払いしていたことで気が緩んでいた為なのか・・・

「もしかして、『お喋りなヤツ』って私の事だったりしないだろうね」

 ノックもせずに扉を開いたのは、夢の守護聖・オリヴィエであった。

「・・・・・・」

 彼がリュミエールの私邸を訪れることはそれほど珍しいことではない。
 日の曜日などには、お茶会と称して他の守護聖を含めた数名を招くこともあったし、今日のように 執務終了後に前触れもなく立ち寄っていくことも比較的多い。
 これはリュミエールの私邸に限ったことではないようではあったが、オリヴィエにしてみれば、 『勝手知ったる他人の家』なのであろう。
 いくら人払いを命じられているとはいえ、相手が守護聖である以上、執事達も強く制することは できなかったのであろう。
 それとも適当な口車を使って、当たり前のように廊下を闊歩してきたのかもしれない。

「他人の話を立ち聞きするとは感心しないことですね・・・」

 諦めたかのような溜息と共に、リュミエールはそう言い放つ。

「そりゃそうだろうけどさ・・・結局はゼフェルの『それ』も立ち聞きなわけだし、 そんなこと咎められる筋合いはないと思うけどね」

 冗談混じりに軽く返すその姿を見ていると、先刻までの深刻な空気がまるで嘘のように 感じられる。

「べ、別に立ち聞きするつもりなんてなかったぜ! たまたま空き部屋で昼寝していたら、 部屋の前で突然物騒な会話おっぱじめられただけで・・・って、大体そんな悠長なこと 言ってる場合じゃねーし」
「・・・一応確認しておきますが、オリヴィエ・・・貴方は、私達の会話をどの辺りから 聞いていて、どの程度把握しているのですか?」

 溜息こそなかったものの、諦めの表情は変わらない。

「どの程度・・・って言われてもねぇ」

 まるで焦らして楽しんでいるかのように僅かに考え込む素振りを見せ、 彼はそのままこう続けた。

「つまりは新任研究員のリモージュは、先の女王候補のアンジェリーク・リモージュと同一人物 だ・・・ってことと、オスカーがそれを見抜いた・・・ってことだろ?」
「・・・・・・」

 オリヴィエのその台詞に、二人はそのまま顔を見合わせる。

「まあ、何調べるにしたって、仲間は多い方がやり易いだろうし・・・そんなわけで、 よろしく」

 明らかに場にそぐわない口調でそう言いきると同時に、まるで効果音でもつきそうなほど大袈裟な 仕草でウインクして見せた彼を前に、ゼフェルは・・・そしてリュミエールは、首を項垂れる 程盛大な溜息を漏らすこととなった。





『翼が消えた天使』 第一部 第十一話に続く・・・

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あとがき・・・


 さて・・・核心に突入ですね。

 このまま話を進めたら、意外と早くに話が終わってしまいそうに思われるかもしれませんが・・・ まあ、そうは簡単にいきません☆
 いくつかの脇道エピソードも織り込んでいく予定なので♪
 そうしないと、オールキャラな話にならないので〜





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