『翼が消えた天使』 第一部






第九話 『翼を持つ者』



「聖獣が生まれたんです!」

 はちきれんばかりの笑顔で執務室に飛び込んできたのはアンジェリーク・コレット。
 女王試験が開始されて、程なくしての出来事だった。

 その報告は、マルセルの元にも先刻届けられていた。
 その『聖獣』とやらが、どのような存在なのかは王立研究院でも説明することは できないとのことであったが、新たな宇宙を育成するために必要な存在なのだという。

 各守護聖の元に『新たな宇宙』についての報告が届いたのは、その数日前のことだった。

 つい1年ほど前まで、星々や命が存在したはずの宇宙 ―――――
 寿命を終え、虚無に還ってしまったはずであった。
 その旧宇宙の存在していた筈の空間に、新たな命の種に似た存在が発見されたのは、 今回の女王試験が開始される寸前の出来事。

 つまり、今回の女王試験とはその『新たな宇宙』を育てることが目的だったのである。

「そう。良かったね」

 同じく笑顔で答え、彼女に椅子を勧める。
 まだ、それほど長い時を過ごしたわけではないが、 彼女達女王候補の存在はマルセルの『励み』になっていた。

 恐らく、同じことを考えている守護聖も多いであろう。
 その素直な笑顔は、新鮮であるはずなのに、泣きたくなるほど懐かしい ―――――

「・・・マルセル様」

 執務中の雑談は、それほど長い時間続くことはなかった。
 小声で秘書が来客を告げる。
 ややして、執務室に入ってきたのは、表向きはジュリアスの元に臨時で派遣された秘書ということに なっているロイであった。

「あれ? 聖地に戻ってたんだ・・・ランディに頼まれていた仕事ってのは、 もう終わったの?」
「ええ。数日の予定でしたが、そのまま残務処理等も任されておりましたので、予定していたより 日程が延びてしまい、守護聖の皆様には御迷惑をおかけいたしました」

 寒冷気候の惑星の調査に向かっていた彼の仕事振りは予想を遥かに上回るもので、当初は後日に 自らが出向く予定で合ったランディが、そのまま彼に全てを任せてしまったという話を 聞いていたことを、マルセルは思い出す。

「そうなんだ。・・・で、どうだったの?」

 単なる会話の延長上のことことである。

「申し訳ありませんが、例え守護聖様といえど、許可なく調査内容を口外することは 許されておりませんので・・・」

 調査自体は一応極秘のものであったが、それは一般人に対してのものであって、守護聖をはじめ、 宮殿・王立研究院関係者達も当然そのことは知っているはずだった。
 調査内容も、それ自体がそれほど深刻なものではないと聞いている。
 そのため何気なく口にした台詞であったのだが、確かに彼の言うことに一理あるのも事実。

「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど・・・」

 決して気まずい空気が流れたわけでもなかったのだが、マルセルは慌ててそう詫びる。

「いえ。恐れ多いお言葉です・・・」

 実のところ、このように相変わらず物事に動じない態度で返答する彼を、 マルセルは苦手な相手として認識していた。
 あくまでも『苦手』であって、『嫌い』ではないことだけは付け加えておこう。
 二度ほど顔を合わせたに過ぎない存在であったが、 その印象はこの日も変わることはなかった。

「あ・・・えっと、もしかして、アンジェリークには外してもらった方がいいのかな」

 彼が出向いてきたからには、女王試験に関わる重要な話があるはずなのだろう。

「・・・いえ、問題ないでしょう。同じ内容の説明があるはずですから」

 僅かに考える風な仕草を見せたものの、それでもやはり冷静にそう返す。

「なら、続けて?」
「はい。明日から、女王試験の形態が教官を交えた形での新たなシステムに変更となります。 明朝、執務開始前・・・女王候補の方々に対しても、ほぼその時間を目途に簡単な資料を お届けにあがりますので、その時間帯の外出は控えてくださいますよう御願いいたします」
「うん。わかった、ここにいればいいんだよね。でも、今回は王立研究院で全員集合・・・って 事はしないの?」
「女王候補の方々と、教官の皆様につきましてはお集まりいただくことになるかと思いますが、 守護聖様につきましてはそのような予定は入っておりませんが、何か・・・?」
「別に、ちょっと聞いてみただけだから」

 事実その通りであった。
 それは単に、間を持たせるための接続詞のような問いに過ぎない。

「そうですか・・・では」

 彼の方もそれを察したのだろう。
 即答したロイは、僅かな間を置いた後、そのまま一礼してその場を立ち去っていった。

「あ、御苦労様っ!」

 閉じかけた扉に向かって、マルセルは慌てて声をかける。

「・・・ふぅ」

 意図したわけではないのだが、マルセルは小さな溜息に似た呼吸を漏らした。

「あの・・・」
「なに?」
「・・・マルセル様って、もしかしてロイさんのことが苦手なんですか?」

 突然の問いに、マルセルは声もなく目を見開いた。

「あ、その・・・失礼なこと言って申し訳ありませんっ!」

 マルセルの表情から、『図星』に近い感覚を汲み取ったのであろう。
 即座に彼女は狼狽の色を浮かべた。

「その・・・守護聖様に対して、こんなこと・・・」

 マルセルが言葉を挟む間もなく、彼女は更に言葉を続ける。

「守護聖様って、もっと近寄り難い神聖な方達だと思っていたのに、マルセル様があまりにも親しみ やすい方だったから・・・つい。・・・って、やだ、私ったら、何てことをっ!!」
「・・・いいよ。実を言うとね、本当のことだから」

 ようやく返答を返すことができたマルセルは、半ば笑いをかみ殺したかのような表情を 浮かべていた。

「それに、僕のことを親しみやすい・・・って思ってくれるのは、とても嬉しいことだしね」

 実を言うとマルセルは、前回の女王試験の時にも、当時の女王候補の1人と似たような会話を 交わしたことがあった。
 今日に限らず、ここ数日何度も感じた過去の想い出のフラッシュバックを、比較的素直に 受け入れようとしている自分自身に、彼は気付かされていたのだ。
 想い出話をすることはできないけれど、それを胸に秘めたまま、笑顔で新たな想い出を 作っていけるのではないかと思い始めていたのだ。
 それが、自分自身の元来の性格に起因するものなのか、目前の彼女のせいなのかはわからない。
 それでも、それはそれで良いのではないかと思う。
 いくら振り返っても、手を伸ばしても、 過ぎ去った時間を取り戻すことはできないのだから。

「だから、気にしないで」

 満面の心からの笑みは、そう思い始めた自分自身へ向けたものでもあったのかもしれない。

「・・・あの、本当ですか?」
「もちろん」
「本当の本当に・・・?」
「僕が、嘘ついてるとでも思う?」
「い、いえっ! そんな・・・そんなことないですっ!! 私・・・」

 再び狼狽しかけた彼女であったが、次の瞬間言葉が止まる。

「・・・・・・」

 悪戯っぽく顔を覗き込むかのような仕草を見せたマルセルの菫色の瞳に映った、 自らの姿に目を留めたのであろう。
 うろたえて口篭もるその姿は、自らのものとはいえ、あまりにも滑稽で・・・

「ふふっ・・・」
「あははははは・・・」

 訳もなく、さしてどちらからとなく笑いが漏れる。
 それまでの会話の幕を引くのに、充分過ぎる一時であった。

「正直に言うとね、僕・・・ロイのことがちょっとだけ怖いかな・・・って思っちゃったことが あるんだ」

 今まで誰にも打ち明けなかった事実である。
 なぜ、急にこのようなことを口にしたのかは、自分でもわからなかった。

「怖い・・・? マルセル様・・・が?」
「変でしょ? そりゃあ僕だって守護聖になる前は、大人の人に怒られたりすることはあったし、 実を言うとね・・・前の王立研究院の主任の人とかも結構怖い人だったから、そんな感情を 持つこと自体珍しい話ではないと思うんだけど・・・」

 一般的な常識から考えたら、民から見た守護聖は『神』のような存在であるはずだ。
 その『神』が『民』を恐れるなど、ある意味不自然で滑稽な話であるに違いない。

「あ、でも・・・ホントは僕って結構怖がりなのかもしれないな」

 僅かに間を空けて、マルセルはそう続けた。

「だって、よく考えたら・・・ジュリアス様やクラヴィス様のことだって、時々怖い・・・って 感じたことあるし、だから・・・やっぱり、そうなのかもしれないね」
「あの・・・でも、それって、なんとなくわかります」
「ジュリアス様達のこと・・・?」
「ええ。ジュリアス様に限らず・・・やっぱり、私達一般の民にとって、守護聖様は恐れ多い 存在ですし、こんな風に一緒にお喋りとかすることだって、本当はとんでもないことなんだ・・・って わかってますし・・・」

 先刻のような狼狽の色こそは見られなかったが、僅かに遠慮がちな表情を見せながら 彼女はそう言葉を紡ぐ。

「確かに・・・そうかもね。僕も守護聖になりたての頃は、そんな風に思ったかもしれない。 でもね、守護聖の皆だって、元々は同じ宇宙で生まれた『民』の1人だったわけだし、 必要以上に恐れることなんてない・・・と、僕は思うよ」

 『怖い』という表現は自分から言い出したことであるはずだが、彼はそう答えてみた。

「そう・・・ですよね。確かに守護聖様方は、私達にとっては雲の上のお方のような存在だけれども、 私達と同じようにお父さんとお母さんから生まれた・・・って考えたら、なんとなく身近に 感じる様な気もします」
「そうそう。眠い時は寝ちゃうし、おなかが空いたらごはんも食べるし・・・何も違うところ なんてないんだからさ」

 かつて、自らがサクリアに目覚め、聖地に召喚された時、先代の緑の守護聖にあたる男から似た ような話を聞かされたことを彼は何気なく思い出していた。
 彼の語った言葉を借りることができたことを誇らしく思う気持ちと、その逆に、彼と自分とを比べる のにはまだ早過ぎるのではないかという不安とが入り混じった、不思議な感覚を 覚えたような気がする。

「その証拠に、僕達守護聖が聖地の外や他の惑星の民の中に、こっそり 紛れこんだって、誰にも気が付かれないんだよ」

 マルセル自身はほとんど経験のないことであったが、時折勝手に聖地を抜け出すゼフェルや、 ジュリアスの命を受けて何らかの調査に向かうオスカーなどがそうだという話を聞いたことが あった。

「・・・良かった」

 突然の言葉に、マルセルは首を傾げる。

「実を言うと、自分に女王候補としての資質がないんじゃないか・・・って 心配になっていたんです」
「え・・・どういう意味?」
「・・・あの、初めて聖地に呼ばれて、王立研究院で守護聖様達とお会いした時、その場に 居合わせたロイさんのことを守護聖様の1人だ・・・って思っちゃったもので・・・」
「 ――――― !!」

 マルセルは言葉を失った。

「神様のような存在の守護聖様と、一般の人との見分けがつかないだなんて・・・って、 とても不安に思っていたんですけど、マルセル様のお話を聞いて気持ちが楽になりました。 本当にありがとうございますっ!」

 幾度目かの満面の笑みを浮かべるアンジェリークを前にして、マルセルは ――――― 愛想笑いに 似た相槌を返すのが精一杯であった。

 守護聖と一般の『民』との間に、何の違いもない・・・という話は、 あくまでも一般論である。
 守護聖は ――――― その存在とともに、サクリアを持つ。
 誰であろうと、生まれながらに持ち合わせている潜在的な力である微量なサクリアと、 守護聖のそれとは、その輝きも、そして力強さも、質を 異にするといえるほどに、かけ離れたものであるはずなのだ。
 そして、強いサクリアを持つ者は、他人のサクリアを感じ取ることができる。
 守護聖に限らず、一般の『感覚の鋭い者』であれば、ある程度のサクリアを 感じることは可能であると聞いたことがあった。
 当然、女王候補として聖地に招かれた少女には、他人とは比較にならぬほどのサクリアが 存在するはずであろう。


 ――――― なら、どうして・・・


 まさか、この少女には、女王となるべきサクリアが ――――― 白い翼が 存在しないのではないか・・・

 そう思いかけて、マルセルは慌てて自らの考えを打ち消した。
 単に、目覚めたての自らのサクリアを、上手に使うことができないだけなのかもしれない。

 ――――― そうであって欲しい・・・と。



「アンジェリークさんをお見かけしませんでしたか?」

 その廊下を行き来する者達が決して少ないわけではなかったが、  擦れ違いざまに声をかけることができる相手は限られている。
 女王試験に関する多くのことは、この王立研究院内でも伏せられているのである。
 表向きには、2人の女王候補は王立研究院への実習生とされている。
 実習生の指導を任されている彼女が、その実習生を探し回ることに不審を感じるものはいないで あろうが、関係部署以外の者に必要以上にその名を出すことはさすがに憚られた。
 それに、一介の実習生の名を全ての研究員が把握しているはずもない。

「・・・守護聖様のところかしら・・・」

 新宇宙に『聖獣』が誕生したことが確認された時点で、本日の育成は行わないよう厳命されている はずだ。
 現に、育成がなされた形跡もない。

 独り言は、声にもならない程度のものである。
 他の研究員が気に止めるような様子はない。

「・・・・・・」

 このまま研究院内を探し続けるべきか、それとも場所を変えるべきか、一瞬思考を彷徨わせた その時のことである。

「なんだ、意外なところで会ったな」

 背後からの不意の声に、彼女は一瞬身を竦ませた。

「・・・オ、オスカー様・・・? 何か御用で・・・」

 僅かに上擦ったかのような声も一瞬だけで、静かな笑みを湛えて振り向いてみせる。

「ジュリアス様をお探ししているんだが、見かけなかったか?」
「先刻主任のところでお見かけしましたが、今は執務にお戻らりになられたことと思います」
「入れ違いか・・・まあ、仕方ないか」

 さほど急いでいるわけでもないのだろう。オスカーは冗談めかしたたのように 肩をすくめて見せる。

「・・・これから、ジュリアス様の執務室にお伺いする予定なのですが、もし差し障りないの でしたら伝言などお預かりしますが・・・」

 ジュリアスの元に・・・というわけではないのだが、強ち間違いでないのは事実。

「いや、それには及ばないが・・・」

 そう言いかけて、オスカーは言葉を区切る。

「あ、それではお先に失礼致します」

 その間を『話の終わり』と判断したのだろう。
 彼女は軽く一礼し、そのまま彼の横をすり抜けるかのように歩き出した。

「・・・お嬢ちゃん」

 通り過ぎた相手を呼び止めるには、あまりにも突飛で間が悪いといえるタイミングであろう。
 しばらくその背を見送って、廊下の角を曲がろうとする寸前のことである。
 小声とまではいかないが、決して大きな声を出したわけでもなく、 普通なら何も聞こえずにやり過ごしてしまっても不思議ではない状況であった。

「 ――――― はい」

 彼女は振り向いた。

 まるでそれが当たり前の出来事であるかのような、自然な笑顔と共に ―――――





『翼が消えた天使』 第一部 第十話に続く・・・

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あとがき・・・


 言い訳はしません。
 だって・・・マルセル様のことが大好きなんですものっ☆
 単なる趣味だと思ってお見逃しください・・・(笑)

 さて・・・ようやく書きたかったシーンの1つに突入です。
 突入したばかりなので・・・あえて詳しいコメントは差し控えさせていただきます♪





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