Pumpkinの歴史



こちらのコーナーは、活動年数『だけ』は長〜い、Pumpkinの歴史的文献です(爆)

この前置きや、微妙なツッコミ(?)以外の文責は、
草凪巽となっておりますので、お間違えのないように☆

ちょっと長いので2部に分けております。
ここを読み終わりましたら、
ぜひとも最後部にある『後編へ』をクリックして、続きを御覧になってくださいねっ☆

『Pumpkin☆大辞典』とあわせて読んでいただけると、
若干は身内ネタの真相に近づいていただけるかも・・・?

まずは、巽の御挨拶からどーぞ☆




突然ですが、初めまして。

これを書いているのは、Pumpkinのメンバーで草凪巽と申す者です。
当サークルの諜報担当、ぱんぷきん☆ねっとの副管理人などという大層な肩書きで
プロフィールのページには載っております私ですが、
その実、諜報とは名ばかりの「チラシ集め係」、
副管理人とは単に「更新後まっさきに見に行く人」にすぎません。

そんな私ですが、しばし、Pumpkinにまつわる昔話などをさせて頂きたく思います。

なお、上記の肩書き(及び実態)からお察しかと思われますが、
サークル活動の中枢を担っていたとはお世辞にも言えない私。
個人的なことに偏りますのは、どうぞお許しくださいませ・・・





 ☆Pumpkin結成!

 平成になるかならないか、同人界は「キャプテン翼」の熱気冷め遣らぬ頃、更に「聖闘士星矢」 (以下「星矢」)と「鎧伝サムライトルーパー」(以下「トルーパー」)が火に油を注ぐといった ような、良き時代でありました。
 少年漫画には馴染みの薄い私ですが、アニメの星矢とトル―パーにはあっさりと乙女心を 射抜かれたのでございます。
 そして、ふと見渡せば同じ傷を抱えた友人が、そこに。
 こっちの水は甘いぞ、と誘われたかどうか定かではありませんが、 私は、原作漫画を読み、ビデオを見、数々のレクチャーを受け、 といったふうに甘い水ならぬ甘い汁を吸うことと相成りました。

 その友人たちのなかに、後のPumpkin元締の水原佳弥、ぱんぷきん☆ねっと管理人 あじふらい弁当、元メンバー和斎佐常がいたのです。

 実はそれ以前からの友人ではあったのですが。
 偶然、四人とも絵を描く人間だったのが運の尽き、いやいや縁の始まりだったのです。
 各々好きなキャラクターに歓声を上げ、絵を描き散らし、学校内でひっそりとコミックスを 読み耽り、映画「真紅の少年伝説」を隣の市までわざわざ見に行き・・・。
 いえいえそれはいいのです、たとえ「東映まんがまつり」で浮くようなお年頃であった としても、それはいいんです。
 が、こんな感じに盛り上がった私たちのパワーは、次の段階で行き着くところに 行き着いてしまいました。

 そう、同人誌即売会に。
 ・・・自然な流れだったのか、はたまた強引に流れをもっていったのか・・・?
 一般参加で初めて入ったイベント会場は、それはもう、 めくるめく情熱のるつぼでございました。
 熱気にあてられた私たちがさらに流れ行く先は。
 ・・・もう、おわかりかと思います・・・。


 前置きが長くなりましたが、そんなある日「サークルを作ろう!」と 言い出したのは誰だったか。
 ・・・私ではないのですが・・・あれ?
 本当に誰だったんだ??

 ともあれ、あじ、水原、和斎、ほか同好の士三名と草凪の七人は、こうしてサークルを 立ち上げたのでありました。


 サークルを作る!となればまず必要なのはサークル名。

 ついた名前が「Pumpkin」。

 嗚呼。
 トルーパーの、緑の鎧の彼を好きだった私は、しかも割と屈折したファンだった私は 最後まで反対したのに。
 しかし、かたくなに反対する方が彼に対する思い入れをあらわにするようで(このへんが屈折) とうとう折れてしまったのでした。

 ・・・でもまぁ、「Pumpkin」、使ってみれば良いカンジ。
 横文字嫌いの私にも覚えられるスペルだし、トレードマークはすぐ出来たし (旗立てカボチャです)、頭のPだけ大文字なのでインスタントレタリングのPだけ極端に減ったり しないし・・・って段々みみっちくなるのでこのへんでやめておきます。


 ところで。

 つい最近発覚した私にとっての新事実。
 「Pumpkin大辞典」のページを見て初めて知ったのですが、実はサークル名、 Pumpkinのほかにも候補があったというのです。
 サークル名の相談に私が加わったときにはもう、Pumpkinだけだったのに!
 ・・・なにやら黒い陰謀の匂いがします・・・(これも屈折)。

 その名は「スナフキン」。
 ・・・。
 どうなんでしょう、これ。
 なぜスナフキン???

 とりあえず私は、「Pumkin」にごねた自分を反省することに致しました・・・。
 それにしても、なんでしょう、サークル名は「〜キン」とつけないといけない深い事情でも あったのでしょうか。

 ・・・私の知らないところで。


 別に『スナフキン』はノリで出てきた言葉なので、気にしないよーに(笑)
 サークル立ち上げるキッカケ作ったのは、元締達だよん☆




 ☆活動開始!

 Pumpkinの活動第一弾は「便箋を作る!」でした。
 もちろん、「そしてイベントで売る!」のが大目的です。
 なぜ本じゃなく便箋かといえば、結成からイベントまでの時間が短かったからだと思います、 多分。
 この辺は、あまり覚えていないくらい展開が速かったので、 多分そんな理由ではないかなぁ、と・・・。


 メンバー七人を星矢班、トルーパー班に分け、それぞれのメインキャラ勢揃い便箋を作ることに 致しました。
 サイズはB5、おまけミニ便箋つき、白上質紙におまかせカラー一色刷り。
 なんと、オフセット!・・・なんだかしみじみとびっくりしています、私。
 今でこそ、オフセット印刷も身近なものとなりましたが、当時、我々在住の地方の イベントでは、コピー本とカラーイラストが主でした。
 便箋も、色上質紙にコピーが多かったような。
 フルカラー便箋なんて委託スペースでしか見なかったものです。
 そんな中で、一色とはいえオフセット、通信販売の予定いっさい無し!! ・・・なんと大胆な。
 ミニ便箋含めて5種類で一セットは今だったら私たちもやらないでしょう、 二種類入りくらいにばらしてセットするのではないでしょうか。

 いっそ潔いと言うか、なんといいますか。


 さあ、製作の前に打ち合わせです。
 これもある程度慣れてしまった今だから思うのですが、便箋の打ち合わせに、 私たちは何故あんなにも白熱して話し合っていたのでしょうか・・・。

 オールキャラ便箋ですから、まず誰がどのキャラクターを描くか。
 一枚につき二人のキャラを描くという原則(何故だろう)のもとに、二人ずつの組み合わせを 考え、メインキャラが偶数ではないので、サブキャラから誰を連れてくるかを考え。
 それはもう、順列組み合わせの如く様々な案が浮かんでは消え。

 ・・・最終決定は実に無難な線でしたけど。

 それからそれから。
 紙を縦使いにするか横使いにするか。
 作品名を入れるか入れないか。
 枠を作るかどうか。
 枠は外から何cmのところに入れるか。
 罫線の幅は何mmにするか。

 他のサークル様もここまで相談するものなのでしょうか。
 少なくともPumpkinは以後どんどんアバウトになってゆくのです・・・。

 このときの気合いの入りよう、今となっては楽しい思い出なのですが。

 が、しかし。

 ・・・罫線の幅が6mmでも7mmでもいいじゃないか。


 いざ描くぞ、となればこれまた大変、私はペン入れなどしたことがなかったのです。
 待ってましたとばかりに、いそいそと街の大きな文房具屋さんへ。
 ケント紙、ペン先、ペン軸、スクリーントーン!
 なんて心躍る言葉でしょう。
 買い物も「購入」だの「調達」だのと呼びたくなるような調子に乗りっぷりで「画材」 (これも良い響き)を「入手」(これはちょっと違うけど)したのです。
 ケント紙なんて、硬くてつるつるというそれだけのことに、勝手にうっとりです。
 そしてペン。
 憧れの羽根ペンは無いので(消しゴムのカスを払う羽根ぼうきを、羽根ペンと混同していたものと 思われます)、とりあえず普通のペン先とペン軸を買います。
 思っていたよりも単価が安かったので、Gペン丸ペンかぶらペン、それぞれ三つくらいずつ 買い込みます。
 いったい私は、一枚の便箋でどれだけペン先を変え、なおかつ描きつぶすつもりでいたのやら。
 丸ペンがペン軸に合わず使えない、という失敗ももちろんやりました。

 次はスクリーントーンです。
 おお、これぞ漫画関係画材界のスーパースター。
 私がトーンを買う日がまさかやって来ようとは。

 ここで感動も最高潮です。
 B5サイズで480円は私にとっては結構な高値、しかも憧れのトーン!
 嬉々として吟味に吟味を重ねますとも。
 私が描く赤い鎧の彼、その赤はトーンにしたらどれくらいの濃さなの、ねぇ何番なの???と、 悩みぬいた末に買い求めた61番。
 それがいわゆる定番トーンだと知ったのは何年も後のことでありましたとさ・・・。

 ところで、上記の「心躍る言葉集」にはインクが入っておりません。
 書道の授業で使う習字セットの中の墨汁を流用していました。
 なぜかインクにはまったくロマンを感じなかったようです。


 そんなこんなで出来た原稿。
 印刷されてきた便箋。

 大感激です。

 そして驚愕です。
 多い!

 そうか、便箋を作るって、こんなに沢山つくるものなのだなぁ・・・びっくりしたけどこういう ものなんだなぁ・・・。
 以上、当時の私の感想です。

 後に判明したのですが、計算間違いというか勘違いで多く発注してしまっておりました。

 ・・・ま、まあ、なにぶんにも初めてのこと、こんなもんでしょう。

 ・・・ですよね?


 やっぱり、同じセット内に入る便箋の罫線のサイズは同じでなきゃ・・・と、あじ的には 未だに思うのですが・・・
 例の便箋は・・・原稿発送時に1つ原稿入れ忘れて、慌てて郵便局へ引き返す・・・なんて ハプニングもあったりしましたけど(笑)



 ☆イベントへGO!

 完成した大量の便箋と入魂のカラーイラスト持参で、Pumpkinいよいよ初イベント (直接参加)です。
 お釣り用の小銭を出し合い、後に「オタク箱」と自虐的に呼ばれることとなる、七つ道具 (?)の入った小箱を抱えて。

 テンション高い高い。

 会場は某会館の一室。
 直接参加サークルのスペースがぐるりとロの字型に並び、中に委託参加サークルのスペースが あるので、全体的には回の字型に長机が配置されています。
 一スペースは長机一本に椅子三脚。

 初参加の我々は、そうそう品物があるわけではありません。
 便箋とカラーイラストでとりあえず机が埋まる程度です。
 あ、壁に貼ったりもしました(可でした)。
 やっぱり、張り切って色々持って行っていたのですね・・・。

 正直、スペースはとても狭く感じました。
 でも、机が狭かったわけではないのです。
 大きなイベントは一スペースが机半分だったりしますものね(これを知ったときには驚いたもの です)。

 狭かったのは、やはり、売り子が五人、時に六人もいたからでしょう。

 このときに限らず、私たちは大抵これくらいの人数で参加していたのです。
 それが当たり前だったのですが、・・・いえ・・・多いですね。
 交代で他所を見に行ったり買い物をしたりはするのですが、いかんせん、ぐるーりと見回せば 会場が見渡せてしまう広さでしたから。

 五人がひしめき合って売り子している光景はやや奇妙であったかもしれません。
 が、ちょっとした見ものであったかも、しれません。
 椅子に座るのも交代で、一人座ったら一人立つ、と。
 椅子をくっつけて全員が強引に座ろうとしたこともありますが、機動力を求めると、三人が座り、 あとは後ろに立つという形に落ち着いてしまうのです。
 記念写真でも撮るのか君たちは、と言いたくもなる陣形です。

 ドラえもーん、重力ペンキ貸してー。
 とつぶやいてしまうような。
 こんなマイナーな道具をあげて、果たして適切な例えになっているのかどうか(「ドラえもん」 より。のび太のクラスメートのあばらやくんはおうちが狭くて家族が多いので、一人が帰宅すると 一人が外へ出るかハンモックを吊る。ドラえもんが重力ペンキを壁に塗ると、塗った壁面に重力が 働き床のように使えるので、みんなを呼んでパーティーが出来る・・・というお話)。
 わかりにくくてごめんなさい。


 人数のなせる技か、売れ行きはなかなか好調だったように覚えています。
 ・・・が、「買ってくださる人がいる!」という事実に舞い上がっていたもので、実際より 良く売れた気になってしまっている可能性は、あります。
 一つも売れなかったらどうしよう・・・と実は不安でいっぱいだったもので。


 当時のイベントの様子を少し、思い出してみますと。
 直接参加サークルさんは、たいてい本(コピー本多し)と カラーイラストを置いていました。

   グッズは便箋くらいのものでしたが、プリントごっこ印刷の封筒などがまれにあり、ちょっと 高級感を感じたものです。
 今で言う、「スケブ描きます」も見なかったような・・・。
 私たちは「描き売り」と言っていましたが、売り手側がスケッチブックを会場に持っていって、 お客様にリクエストされたものを描いて買って頂く(すごく安くだけど)、というシステムが ありました。

 コスプレを見るようになったのも、もう少し後のことです。
 そのお話はいずれ、詳しくさせていただく予定でございます。

 そして、大抵、企画としてイラストオークションがありました。
 ルールなどはマイナーチェンジされながら、長く続いている定番企画ですね。

 初参加の我々も出品しました。
 そのくせ、買うほうに積極的ではなかったりして・・・。


 これで初イベント終了、Pumpkin的には大満足です。
 しかし心は既に次回のイベントにひとっとび。
 帰路の話題は「次なにする?」一色でした。

 それにしても。

 こうして昔のことをつらつらと書いておりますと、もう一度くらい思いっきりハマれるジャンル に出会いたい・・・などと、つい夢をみてしまいます。

 ・・・困ったものです。


 ・・・地方イベントならではの風習とかいっぱいあって、後にカルチャーショックを受ける 一因にもなりましたが・・・(汗)
 確かに楽しい青春の思ひ出(爆)



 ☆コピー本・・・。

 Pumpkinの次なる目標、それは本を出すことでした。
 ・・・と、いう話なのですが・・・。
 えー、初めに謝っておきます、ごめんなさい。
 今回特に私的な内容です。

 実はですね。
 上の「☆コピー本」を書いた時点では、Pumpkinにとっての初コピー本、すなわち、 あじの星矢本と水原のドラゴンクエスト本という前提だったのですが(あじによると、メンバーの もうひとりが光GENJI本を作ってもいました)。

 さてあの頃なにがあったっけ・・・と考え出したときに、何か私の脳裏にちかちかと 明滅する記憶。
  首を傾げつつ記憶の糸を手繰り寄せれば、なにか徹夜をしたような・・・。
 あじと水原の本で何故私が徹夜を・・・?

 はっ。
 ここでやっと思い出したのです。

 ・・・私はこのとき、トルーパー本を作っていたのでした。

 わーすーれーてーたー・・・

 私は酷く自意識過剰な人間です。
 昔書いたものは恥ずかしくて正視できないばかりか、思い出しただけでひいーと叫んで走り去り たい衝動にかられるのですが、そういう人間ほど過去の諸々を忘れないものです。

 それが。
 その私が、このザマです。
 たいへんショックです。
 自戒の意味を勝手に込めまして、いま思い出した、事の成り行きと私の自意識過剰っぷりをここに 晒させていただくことに致します。

 というわけで、タイトルの「コピー本」に「・・・。」がつくことになったのでした。


 気を取り直して。
 初イベント後、次なる目標を「本」に定めた私たちは、再び白熱した話し合いをして個人で コピー本を出すことを決めました。
 描くのはそれぞれですが、コピーするのは水原が引き受けてくれていました。

 つまり、水原の都合がつく日が締切日です。
 その締切日は明日に迫っておりました。
 他の皆は原稿を書き終えたと聞きましたが、私は前日になっても終わっていなかったのです。
 この頃、私は家族と同居しており、何か絵を描いて売ろうと目論んでいるらしい・・・と いうくらいには同人活動について知られていましたし、家族が在宅中でもイラストは描いていたの です・・・が。
 漫画はダメでした。
 何かの弾みで家人の目に触れたらと思うと、背後が気になっていてもたってもいられないのです (過激な内容だったわけではないです、念の為)。

 しかしその本をイベントで売ろうっていうのだから、我ながらわけがわかりません。


 そんなわけで、作業はおのずと家族が寝静まってからになります。
 漫画を描いていることは知られたくないので、起きているのがバレないように部屋の照明を消し、 机上のスタンドのみでひたすら描きます。
 石油ストーブも音がうるさいので消しました。
 春だったので、ごっそり着込めばなんとかなります。
 それもこれも、両親の寝室が私の隣の部屋で、仕切りが建てつけの悪い襖だったためです。

 息を詰めるようにしながら描きあげ、疲労で良い具合に脳が発酵してきたところで台詞を入れ (シリアスものでどうにも恥ずかしく、素面?じゃ書けないのです)一応の完成を見たときには 既に朝でした。


 朝食に私を呼ぶ声がします。
 私はぐっすりと眠ったのだ!と自分に言い聞かせ、山と着込んだものを放り出してパジャマに 着替えます。
 描くのに邪魔になるのでひっつめていた髪を適当にぐしゃぐしゃにして。
 きちんと眠ったつもり、とベッドを乱したりもしましたが、これは何の意味もないような。
 まあ、やはり私はやや動転していたのでしょう。

 さあここからが私の舞台。
 いかにも寝起きを装って居間に出て行きます、白々しくも。

 そんな私を一瞥して、母は言いました。

「寝てないんだからおなかすいたでしょう?」

 ・・・がーん。
 なぜ?
 そしてパジャマ姿の私の立場は?

 母曰く、

「寝起きにそんなさっぱりした顔、みたことない」

 ・・・私の寝起きはどれほど鬱陶しいというのでしょうか。
 いえ、怒るべきは母にではなく、自分の演技力の無さに、です。
 ああ月影先生(「ガラスの仮面」参照のこと)、紅天女への道のりは遠すぎます。

 しかし空腹は紛れも無い事実だったので貪るように朝食をとる私に、 父が追い討ちをかけました。

「夜中に目が覚めたら、きゅいーん、きゅいーんという音がしていた」と。

 そうです、ストーブまで消した私ですが、トーンを削る音のことは失念していたのです。
 丑三つ時に、きゅいーん、という得体の知れない音を聞いた父は、とても不気味であったと 言いました。
 そのわりに何の音か確認せずにまた寝てしまうというのも、何かのん気な話ですが。


 さて、水原に原稿を届けなくては。

 この日私は、朝食後すぐ、家族で親戚の家に行くことになっていました。

 行きがけに水原の家を訪ねるのも、まだ非常識な時間です。

 どうしよう。

 私は、原稿を紙袋に入れ(封筒ですらありませんでした)、太マジックで宛名をでかでかと書き、 水原宅の郵便受けにそっと入れたのでした。
 水原家の皆様、ごめんなさい。
 爽やかな休日、朝刊と一緒に取り出したそれは立派な不審物だったことでしょう。

 というわけで、自分の家族のみならず他家にも迷惑をおかけしておきながら、そのことを すっぱりと忘れてしまっていた私、改めて深く反省したいと思います。

 余談ですが。
 親戚宅に到着後、徹夜明けの私が転寝なぞをしている間に、両親は私の同人活動のことを 親戚一同にバラしまくっておりましたとさ。


 あじは、この時の本は何のトラブルもなく描けました☆
 まあ、あじも元締のお宅には迷惑かけまくりなので・・・(汗)




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