『裏切りの理由』





「いかん! いかん! 絶っ対に、いかーーーーんっ!!」

 真夜中の静寂とやらは、この夜に限っては縁がなかったようである。

 周の国を守る要塞前で、 マヌケな戦いが繰り広げられたのは昨日のこと。
 本来ならば、静かな夜を迎えている筈なのであろうが・・・

「どうして? どうしていけないの!?」
「いかんと言ったら、いかーーーーんっ!!」

 実を言うと、昼間からこの繰り返しなのである。

「だから、ちゃんとした理由を説明してよっ」

 口喧嘩なら苦手ではないが、父のような理詰めの口論は不得手である。
 それでも、セン玉は食い下がらない。

「セン玉ちゃん。・・・パパはセン玉ちゃんのことがかわいくてかわいくて 仕方がないんだよ」
「・・・そんなこと、わかってるわよ・・・ というか、本当のことだし」

 口調を変えて、御機嫌をとろうとしたケ九公の作戦は、全くもって 意味をなさなかった。

「パパは・・・パパは我慢したんだよ。セン玉ちゃんが好きになった男なら、 例え醜男でも、将来性が無さそうでも、100万歩譲って、許してあげようって 真剣に考えたんだよ」
「だから、それって認めてくれたってことなんじゃないの?」

 結局は堂々巡りになってしまうこの議論。

「いかん。それだけはいかんのだ」


 『土行孫はこっちの味方だ!』

 そんなこと ――――― 判りきっている。


 『だから結婚するなら、 おぬしもわしらの味方にならねばならぬ!!』

 だから、それは・・・判りきったこと ―――――


 セン玉の意志は既に固まっているのであった。

 ケ九公でなくとも、父親というものは娘の結婚に難癖つける人種であることに 間違いはない。
 容姿、身分、その他諸々・・・全てが娘と不釣合い・・・と。

 それでも、それでも娘がそれを望むのであれば、 それが娘の幸せのためであるならば、父親として祝福するのが筋と いうものなのかもしれない。

 だが ―――――

 問題は、妥協に妥協を重ねた娘の相手の男というのが、『敵』に与する 者だという決定的な事実。
 これだけは曲げようがない。

「敵とか味方とか、そんなもの関係ないわ。・・・あたしは『あっちの国』で 幸せになりたいだけなの」

 話の流れから『あっちの国』とは、恐らく『周』を指すのであろう。
 娘のこの台詞に、父は動揺の色を隠せなかった。

「・・・な、なんてことを・・・」
「だって、ただ土行孫様と結婚するだけが目的なら、駆け落ちって方法も あるし、いざとなればあの人を無理矢理拉致ってくれば済むことよ。 ・・・っていうか、その方が手っ取り早いし」

 この発想は、まさしく彼女らしいものではあるが、実を言うと父自身も 後者の案は考えていた。
 できることならこの結婚そのものを反対したかった彼の方から提案するには、 あまりにも抵抗のあるものであったため、あえて口にはしなかったが、 もし彼女の方からこの提案されていれば、恐らくは 即座に了承していたことであろう。

「・・・でもね、それじゃ意味がないの」

 ケ九公は、嫌な予感を感じていた。

「だって、自国を裏切って愛のために敵国へ・・・だなんて、 恋愛小説の究極のヒロインっぽいじゃない?」

 かなり語弊があるようであるが、ケ九公の予測は 概ね当たっていたらしい。

 ・・・が、セン玉の話には続きがあった。

「それに、あたしってば、 殷の国にも紂王陛下にも、何の御恩もないし」
「な・・・なにを言ってるんだセン玉ちゃんっ! 我がケ家は 代々殷の国に仕える名家で・・・」
「・・・代々仕えてたって、あたしには関係ないじゃない」

 ケ九公は言葉を失った。

「まあ、強いて言えば聞太師には、 ちょっとだけ御恩があるかな・・・」

 僅かに考え込むような仕草を見せて、彼女はそう続けた。

「・・・そ、そうだぞセン玉ちゃん。セン玉ちゃんは聞太師の信頼を得て このような重要な任務についたわけで・・・」
「・・・それ、違うわよ」

 あっさりと言ってのけた娘の言葉に、父は再び言葉を失った。

「聞いちゃったのよねー。殷のお城で聞太師の部下達が話してるのを。 あたしってば、実力を認められてスパイに任命されたんじゃないんだって。 ・・・変だと思ったのよねー。あたしのような美少女をスパイなんかにしたら 目立っちゃってしょうがないじゃなぁい?」

 実を言うと、その件については父も知ってはいた。

 道士として新人のセン玉が、崑崙の実力者達の集まる豊邑にて、まともに 諜報活動ができるはずがない。
 すぐに見破られてしまうだろう。
 ・・・が、敵とはいえ、ほとんど敵意のない人間出身の若い女道士に、 太公望達が本気で立ち向かってくるとは考え難い。
 彼女の性格から考えても、『スパイ』の立場のまま 友好的な関係を築いてしまうことであろう。

 つまり、見つかることを初めから前提にしていた『スパイ』 だったのである。


 ――――― だから、娘に敵の情が移ったところで、戦いを挑む。


 ・・・筈だったのであるが・・・

「か、仮にそうだとしても、聞太師はセン玉ちゃんのことを 信頼して・・・」
「んー。確かに聞太師には感謝してるのよねー。・・・太師のバックアップが あったお陰で、人間を受け入れることに否定的だった金鰲島で、差別とか 全然受けなかったし」
「そうだとも。そうだとも」
「・・・でも、それだって、結局は仕組まれたことなんじゃないの?」
「・・・・・・?」

 この真意は父にもわからなかった。

「だって・・・どうしてあたしのとこに、 金鰲島からスカウトがきたわけ?」

 金鰲島出身の人間・・・恐らくは片手で数えることができるほどしか存在 しないであろう、そんな自分と同じ立場の部下。
 しかも都合の良いことに、殷王朝に代々仕える名家の娘・・・
 聞仲の立場に立てば当然手駒に加えておきたいであろう。

 彼にとって都合の良すぎるこの人材が、崑崙ではなく金鰲島から スカウトを受けたのも、 何らかの手回しがあったと考えるのが自然であろう。

 父親としてのケ九公に、それを否定することはできなかった。

「・・・殷は、そして聞太師も私を必要としていないわ」

 これもまた事実であろう。
 聞仲の手元に、もっと優秀な金鰲出身の人間の道士がいたら、間違いなく 彼はその道士を登用したことであろうし、それ以前に、殷の名家の中に 有望な素質を持った仙骨を持った者が他に存在していたとすれば、 金鰲のスカウトは、そちらの方に向いていたことだろう。

 セン玉の言葉に、ケ九公はただ絶句するばかりであった。

「・・・そして、私も殷を必要としていないの」

 力強くそう言いきってから、セン玉は父の顔を覗き込んだ。

「あたしが、土行孫様のことを好きな気持ちは本当よ。・・・あの方は、 あたしのことを『イイ女』って言ったわ。そして、身を呈して守ってくれた。 ・・・こんなことって、あたし・・・初めてなの」

 セン玉が仙人界に出向いたのは15の時。その後、妖怪だらけの 金鰲島で20年も修行に明け暮れ、戻って来るなり聞仲の部下となり 働きずめた。
 確かに、そのようなことを他人に言われることも、守ってもらえるような ことも皆無に等しかったであろう。

「・・・周の国も同じ」

 満天の星空を仰ぎ見て、セン玉は話を続けた。

「殷と違って、王様も国の人も同じ理想を掲げていて、お互いがお互いに 優しくって、楽しそうで・・・輝いていて」
「・・・・・・」
「あたしは、スパイ。・・・敵なのよ。・・・それでもこの国の人は、 何の分け隔てもなく、あたしに接してくれて・・・気さくに 声をかけてくれたり、食べ物を分けてくれたり・・・」

 確かに、今の殷の国では考えられないことである。

「・・・だからあたしは、この国の人達のことも大好き」
「せ・・・セン玉ちゃんは、あの男へ熱を上げて自分を見失っているに 過ぎないんだよ。少し経てば、そんな妄想も消えてなくなる」
「妄想なんかじゃない!」

 悲鳴にも似た心の叫び。

「・・・妄想なんかじゃない。・・・嬉しかったわ。『周の味方になれ』って 言ってくれたんだもん」

 暗闇の中であっても、その表情は穏やかで暖かみ溢れるものであることくらい はすぐにわかった。

 短い期間ではあったが、周の国で人々とふれあううちに芽生えた 僅かな感情。


 ――――― この輪の中に入りたい ―――――


 きっかけが欲しかったのかもしれない。

 土行孫と出会い、恋に落ちたのは事実。

 太公望に『味方になれ』と言われたのは、多分・・・成り行き。


『いまさら、なに言ってんのよ! あたりまえじゃないの!!』


 これが、あたしの真意 ―――――


 「理想の男性とめぐり合って、新しい素敵な仲間を手に入れて・・・ それでもあたしはワガママだから、パパとも別れたくない」

 ――――― そして、これも真意。

「パパ、周の人達は、みんないい人よ?」

 娘の瞳に偽りの色はない。

「どんなに立派な仕事を任されていても、 どんなに素敵な結婚ができたとしても、あたしは全然満足なんてできない。 ・・・あたしは、やっぱりワガママだから、 あたしのいるべき場所と沢山の仲間が欲しい」

 僅かにではあるが、心が動いた。

 本当に、周という国が娘の言う通りの素晴らしい国であるというのなら、 自分の守るべき国、殷をその素晴らしい国に 変えることができるというのなら・・・

「・・・お願い・・・わかって? ・・・パパ・・・」


 ――――― 信じるものを間違えてはいない。


 時代は変わる。

 この不変の空が何度夜明けを迎えようとも変わらぬと誓った、自らの 決意は本当にちっぽけなものだ。


『ケ九公よ。・・・おぬしは、 紂王ただ一人のために戦っておるのか?』


 ――――― ただ・・・




――――― パパ・・・ 周の人達は みんな・・・いい人よ ―――――







― 終 ―






あとがき・・・


 古いネタ・・・

 ・・・としか言いようがないのですが、この話、絶対にいつか、どこかでは 書(描)きたいと常日頃思っていた作品です。

 このシーンって、作品中は文章解説があっただけで、具体的なエピソードって 全くなかったでしょう?
 ・・・なら、自分で考えよう☆ ・・・ってカンジで(笑)

 当時は、セン玉ちゃんこそ、この作品のヒロインっ☆
 ・・・なぁんて思ってました・・・本気で(笑)

 まぁ、あの彼女が本当にこんなことを思ったかどうかは、かなり疑問です けどね(笑)
 案外、ハニーを殷に就けたくなかったのは、妲己ちゃんの誘惑に 負けてしまうのが目に見えていたからだったりして・・・(笑)

 ちなみに、登場当初のセン玉ちゃんの一人称って『私』なんですよね。
 なんかイメージが合わないので、『あたし』に統一したのですが ・・・(逆に『ハニー』のことは当初『土行孫様』って呼んでたので こっちはそれに統一・・・)

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